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сентября 2005

28.09.05

ダーチャでの収穫

vegitables_and_berries この時期、モスクワ郊外のダーチャ(別荘)では毎週のようになにやら収穫をする。

たとえば、キュウリ。日本のキュウリのようにつるんとしていない。いぼとともに繊毛のたくさん生えたごつい風貌だ。また、食用ホウズキも収穫される。これらは生で食べるほか、ピクルスなどにまわされる。ジャガイモやスビョークラ(ビーツ)はもう少したってからだ。

知人のダーチャの周りはベリーの木が自生していたので、毎回たくさんの赤すぐり、黒すぐり、木いちごなどを摘ませてもらった。摘みながらちょくちょく自分の口にも入れる。洗ってから食べるなんてことはしない。摘み終わったベリー類はざっと洗って乾かす。それからジャムにしたりジュースにしたり加工するのである。

そういえば私がモスクワに滞在していた2002年はリンゴが豊作だった。どこのロシア人家庭もリンゴがたぶついていたらしく、私も大量にもらった。2003年と04年は開花後の寒波のため不作だった。今年はどうなのだろうか。

「別荘」などと訳されているけれど、庶民のダーチャは農園付別荘。年配者はここでの生活が「主」で都会でのアパート暮らしは「仮の宿」のように見える。もっとも今の若者にとって、ダーチャでの農作業は苦痛らしい。金持ちのダーチャも文字通り御殿のごとき「別荘」だ。

どっちにしても別のところにもうひとつ家があるなんてうらやましいかぎりだが。

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27.09.05

ペンキ塗りたて(写真)

painting モスクワであいさつの次に覚えたロシア語は【レモント」(ремонт)という言葉だった。意味は修理とか修繕とか。ロシア人は壊れたから、古くなったからといってすぐに捨てない。まずはレモントなのである。

自分でやっちゃうケースも多く、スーパーDIYな人たちだ。もちろん手に負えないものは専門家に頼むわけだけど、とにかくなんでも直してしまう。

本屋にトヨタとか日産の車の詳細な設計図が売られているのをみつけて驚いたことがある。もちろんディーラーに頼むと高いから自分で修理しちゃおうということなのだろうが、こんなことができるロシア人は皆なにがしかの整備士に見えてしまうから不思議なものだ。

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25.09.05

今日の映画鑑賞1

知り合いが送ってきたDVDのコピーを見た。タイトルは「ジサイ」(Дзисай)。天皇の人柱的存在だったジサイという人物をモチーフにした、アクション・サスペンス?コメディみたいな映画。ある大会社の社長が自分の命を狙うものがいることを察知、そのとき日本の天皇がジサイという身代わりを使っていたことを知り、自分もジサイを雇おうと決心する。そうしてジサイにさせられたホームレスの中年男。彼は本当に社長のジサイになってしまうのか。そして社長の冷徹美人秘書への恋慕はどうなるのか、というのがこの映画の見所だ。

全4部で2時間弱、各編冒頭にジサイの起源と前回までのあらすじが挿入されるところを見ると、テレビかなんかの連続ドラマかと思われる。

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23.09.05

秋分の日!

日没がどんどん早くなってくる。ロシアの日めくり暦のよると、9月23日現在の日の出は7:16、日没は19:26で、日照時間は12時間10分ということになっている。これが10月下旬になると、日の出8:29、日没17:56にまで短くなり、さらに10月30日、夏時間が終わるとともに、日の出7:31、日没16:54になっちゃうという摩訶不思議。サマータイムを検討中の議員のみなさんにこの激変がいかなるものか、充分考えてもらいたいものだよ。

写真はモスクワ・クトゥーゾフスキープロスペクトの夕暮れどきmoscow_twilight

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22.09.05

モスクワで活躍する日本中古車

ロシア極東では日本の中古車が走り回っている話はよく聞く。まあ、日本から近いしね。

ところがどっこいモスクワでもかなりよく日本の中古車を見かけるのである。だいたいは貨物系の車が多いが、特に多いのは保冷車のようなもの。わたしの住んでいた地区ではグリコのランニングおじさんがばっちり描いてある保冷車が駐車してあった。○○水産とか××運輸とか、電話番号まで消されないままの中古車がモスクワの物流に一役買っているわけだ。

というわけで、日本から遠く離れてまだ現役としてがんばっている中古車をみつけると、同士に出会ったような感動を覚えたものだ。

写真は夏の昼下がり、モスクワ中心部の横丁に駐車されていた日本の中古トラック。jap_car

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20.09.05

髪の長短と民族主義の考察

今日は自宅近所にある中国人向け商店から、フリーペーパー「中華時報」をゲットしてきた。ひさびさ目にしたのは「光頭党」の文字。光り輝くハゲ頭の政党なんかではない。この意味は、「スキンヘッド」一味のことを指す。

同誌によると、去る9月10日、在ロシア日本大使館職員がモスクワ中心部のレニングラード大通り37号付近で、身元不明の人物から顔面を3回殴られたという。日本側の情報では、この大使館職員とその夫人が殴られた、となっているので若干話が違って記載されている。

それはともあれ、中国語の新聞でおもしろいのは、東洋人や黒人を襲うのは、みんな「スキンヘッド」になってしまうところ。実際、異民族に暴力を振るうのはつるつるのスキンヘッドより適度に髪の毛がある見かけふつーの若者が多い。ところが中国人世界ではスキンヘッド=異民族排斥主義者みたいな意味合いになってしまった。別の言い方で、「ネオナチ」というのもあるが、こちらは読んで字のごとく、ナチズム信奉者の集団。しかし、中国世界では「新納粋派」とは呼ばない。ネオナチのメンバーが頭をつるつるにしていることが多かったため、ネオナチ=スキンヘッド、つまり光頭党という名称が出来上がったわけである。もちろん髪を伸ばしたネオナチもいるのだが。

ちなみに日本大使館の職員が殴られたレニングラード大通は、ネオナチの拠点というか、集会がよく行われていた(であろう)地域だ。ときどき地下鉄車両に、「○月×日、非ロシア人を排斥する集会を行う、××広場に○時集合」とか書いてあるステッカーが貼ってあった。ベラルースカヤ駅の近くだと思う。そのステッカーを見つけてから、私はその方面に行くのを極力やめることにした。でも、日没が遅いとついつい近くを通ってしまうのだよね。

話がだいぶそれてしまった。どの国にいても、光頭党の連中には遭遇したくないものだ。

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19.09.05

そばの季節到来

新そばの季節がやってきた。日本ではそばといったらもっぱら麺。たまにそばがきのような食べ方もあるけど、かなりマイナーな方だろう。

さて、ロシアではそばといったらまずお粥。そばの実(たいてい殻を剥いただけの玄米状態)を炊くわけだが、最初モスクワ大学の学食で食べたときはなんかぼろぼろしていてイマイチの印象だった。ところが、これが知人宅でごちそうになったビーフストロガノフの「つけあわせ」になって出てきたときは、えらく美味だった。やっぱり家庭の味は違うのだ。

というわけで、今ではすっかりそばの実のファン。日本で売ってるそばの実は殻剥きすぎ。

ちなみにロシア語でそばはгречка(グレーチカ)という。プレーンなそばの実粥にバターを混ぜたり、トマトジュースで炊いたり、はたまたロシアの干しきのこと炊き合わせて釜飯風など、バリエーションは数限りなく。そばの実アレルギーでない方は一度お試しを。

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16.09.05

モスクワの大豆卸売り

一昨年から、自家製豆乳を作って飲んでいる。もちろんモスクワにいるときも豆乳製造機持参で自家生産していた。自家消費できないくらいのおからができるので、近所の日本人に押し付けてありがたがられて(?)いたが。

で、原料の大豆なんだけど、最初は自分で日本から持ってきたりしてた。だが、けっこう消費スピードが速く、現地調達が必要となった。もともと在モスクワ韓国人が豆腐を作っていたので、どっかに大豆はあるはずだと探した結果、華人街に中国産の大豆があるのを発見。もっぱらそこで買うようになった。1キロ一袋で160円くらい。日本のより安いが、籾やゴミのようなものも混じっていて洗うときに気を使う。吸水しない豆もあり、製品の質がそろっている日本製とはあきらかに格落ち。でも気にせず使う。

ロシアの大豆もある。見つけたのが「インテル・ソーヤ」という大豆製品卸売りの店。大豆はもちろん、カテージチーズ風豆腐、乾燥大豆、豆乳ヨーグルト、大豆蛋白から作ったなんちゃって肉食品(フライするとひとくちカツ風になるというものなど)、豆乳から作ったマヨネーズやパンに塗るスプレッドなんかもある。健康食品の店と謳っており、昆布やベリー類からとったドリンク、ハーブとかもあったりして、顧客はたいてい年配者だった。

私が通っていたのはもっぱら小売店舗の方だが、ホームページによると卸専門の店舗もあるらしい。モスクワ市内のスーパーやニューエイジの店にあった大豆由来製品はここの製造だと書いてあったので、かなり大手に成長したようだ。

ちなみに日本の大豆が一番丸く、中国の大豆は小粒でやや楕円、ロシアの大豆は楕円で真ん中に黒いスジが入っている。

写真:インテル・ソーヤの入り口

http://www.soyka.ru/inter_soya Golden_soybeans0032

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10.09.05

仕切る老人

ロシア語教室からの帰り道、私は地下鉄に乗っていた。かなり込んでいた車内は、乗換駅でどわーっと人が降りていったあと少しだけ余裕が。すると突然私の背後から「そこの娘、そっちの空いたところに座れ」とおじいさんがいきなり指図。面食らっている、その老人は「おまえはそっちに、あんたはこっちの空いた所に」とほかの人にも命令している。

さらに驚いたのは、指図されたみんなが黙ってその席に座っていったこと!私も無視できなくて座った。ロシア人におせっかい多しといえど、krasnaya_varota2 仕切りたがるのは圧倒的に老人なのである。

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05.09.05

芝居に行きたい!

日曜日、モスクワで知り合った日本人の友達と久々に会食。お互いに芝居が好きだったこともあって、舞台芸術関係の話でもりあがった。それにしても、日本に帰ってきてから3ヶ月、いまだ映画1本を見たのみ。非常に貧しいエンターテインメントライフじゃ。なんか見に行きたくてもチケット代と電車賃の高さにどうも二の足を踏んでしまうのだよね。その一方で芝居見たい症候群はどんどん重くなるばかり。やっぱり金を貯めていくしかないか。

モスクワで見た芝居はのべ200本、そのうちこのページでも紹介していくつもりです。

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03.09.05

届かない郵便物

8月末に誕生日を迎えたモスクワの友人に誕生カードを送った。投函は7月下旬。誕生祝を事前にやるのはタブーなので、少し遅めに着けばいいやと計算していたのだが、甘かった。つくづくあの国の郵便システムはどうなっているのかと思う。

私がモスクワにいるときも、両親からの手紙は3年間に4通くらいしか届かなかった。彼らは私に合計20通以上は出しているという。残りはどこへ消えたのか。きれいな切手や封筒は配達員がねこばばするという話は有名だ。だから思いっきりDM風の手紙を出すように要請していた、のにもかかわらずなのだ。逆にロシアから日本への郵便はけっこう迅速。1週間から10日で届く。

そういえば、ネットでメールとかできなかった20世紀初頭、作家チェーホフは保養地ヤルタから、モスクワにいる愛妻とほぼ毎日手紙を交換していた。2、3日手紙が届かなかったとごねている日もあるようだが、今に比べると相当立派にやりとりが成立していた。現在は交通機関も発達しているのに、モスクワ市内便ですら2週間以上はかかるというおそまつさ。しかも普通郵便では届かないので、人々はたいてい書留で送っているが、あまりの書留の多さに最近郵便局は市内の書留制度を廃止したとか。

願わくば、私の出したカードが年内にちゃんと届きますよう。

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01.09.05

ベスラン1周年

ベスランでの学校占拠事件が発生してからちょうど1年がたった。思えば去年は2月の地下鉄爆破に始まり、テロの連続。そのなかでも学校占拠事件は多くの子供が犠牲になった最悪のテロだった。

当局側が学校に突入し、事実上事件が「解決」した日、私はロシア人の知人宅にいた。久しぶりに彼らと会い、楽しいはずの食事会だったが、事件を「中継」するテレビの映像を前に私たちは凍りついた。裸のまま逃げているたくさんの子供たち。いっこうに把握されない死傷者数。私たちはその一昨年に起きた、劇場占拠事件を思い出しながら戦慄した。

先日、外国のテレビ局が学校占拠事件の全容解明を試みた番組を見た。決してロシア国内では報道されることがないであろう事実がたくさんあった。たとえば生き残った人たちの生の証言。事件を見守り続けた家族たちの証言。そして事件の一部始終を取材した外国人記者の証言。もしこれらの証言がそのままロシア国内で報道されれば、当然政府批判が起こるだろう。したがって、一般市民は政府に選ばれた人だけの「証言」しか知らない。

ロシア人の知り合いたちとベスランや一連のテロのことを話題にしようと思っても、たいてい彼らは乗ってこない。地下鉄も学校も病院もいつテロが起こるかわからない。でも地下鉄に乗って仕事に行かねばならないし、いつ起こるかわからないテロを恐れてモスクワを逃げ出すわけにはいかない。家の中にいたって、アパートまるごと爆破されることだってある。生きている以上、テロに遭うリスクは避けられない。だから、テロが起こる土壌の上に暮らしていることをあえて無視したい、といった感じだ。

ベスランの学校占拠事件から1周年を迎えても、テロ発生の原因がなくなったわけではない。彼らは子供たちの入学式というハレの日を、これから先も厳戒態勢の中で迎えなければならない。こうした不幸な状況を彼らはどう思っているのだろうか。

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