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26.04.06

チェルノブイリ事故20年

1986年4月26日、史上最悪といわれるチェルノブイリ原発事故がおきた。あれから20年、あっという間に過ぎ去ったように感じるが、被害者らにとっては長い20年だったと思う。

今でも存在する残留放射能。チェルノブイリ事故が植えつけたトラウマは、突然変異した染色体のように旧ソ連諸国の人々の脳裏に残る。一方で放射線物質に対する秘密主義が残るもの確かだ。

きのこやベリーのシーズンになると、決まって取りざたされるのが「どこどこで取れたきのこやベリーに基準以上のセシウムが検出された」という類のニュースだ。毎年のことだから驚かなかったが、郊外で取れたきのこやベリーは、いくら新鮮で安くても買わないようにとロシア人の知り合いに言われた。

さらに恐ろしいのが、モスクワ市内に放射能反応が高い地域が存在していることである。原子力関係の研究所があった場所、あるいはその類の専門学校、はたまた稼動されなくなった工場跡地などだ。公園や森の中にもスポット的にガイガーカウンターが振り切れる場所があるという。軍事関係施設は地図にも載らないし、一般市民でもどこにそうした施設があるのか知らないことが多い。

また、モスクワ西部にある「戦勝記念公園」に置いてある戦車から、放射能反応が出たという噂も聞いた。子供がよじ登ったりして遊んでいる戦車だ。こうした噂や報道が本当だととしても、どこまでがチェルノブイリから運ばれた放射能で、どこからが市民の知らない放射能物質によるものか判然としない。

チェルノブイリの記憶が風化していっても、潜在恐怖は残る。その恐怖を核物質管理の方向へ昇華すること、それが「チェルノブイリの教訓」を生かすか殺すかの分かれ目となる。

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