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мая 2006

31.05.06

モスクワ川遊覧と橋めぐり

Berezhenskiy_bridge Boat Bridge_for_walkers Krimskiy_bridge Berezhenskiy_bridge_under

東京の隅田川遊覧のように、モスクワ川でも川下りをしながら川にかかる橋を楽しむことができる。

最近は歩行者専用の橋も造られるようになった。渋滞する車の列を尻目にショートカットできたり、ちょっとした市民の憩いの場となったりして重宝されているようだ。

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27.05.06

日本庭園の夏

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短い夏の昼下がり。市内の喧騒を逃れて日本庭園を訪れた。池のカエルが競うように鳴き、遠くから貨物列車の走る音が聞こえてくる。春の花も夏の花も同時に咲いて、華やかな静けさに満ちている。東屋でぼーっとしていると、とたんに眠くなってしまう夏の日本庭園である。

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26.05.06

モスクワの中国人 その1

モスクワにキタイ・ゴーラッド(Китай город  意味:中国街)という地下鉄駅があるが、中華街でないことは有名だ。しかし、現実に中国人が多く住むコミュニティはすでに形成されて久しい。

1990年代、モスクワに住む中国人は大使館・マスコミ関係・留学生を除くと、革製品や衣類を中国から運ぶ「担ぎ屋」が主流だった。彼らは倉庫のようなタコ部屋で共同生活。運んできた商品に埋もれるようにして暮らしていた。当時、中国人アパートはストゥデンチェキスカヤ、ソーカル、バイコフスカヤ駅周辺にStudencheskaya_street_1 多く、表向き「学生寮」となっていた。

2000年に以降、モスクワにやってくる中国人は急増。担ぎ屋だけではなく、縫製工場の労働者、農場労働者、建築現場労働者をはじめ、中露間の運送を一手に担う運送集団も多く流入。イズマイロフスキーのおみやげ市場の先にあるチェルキーゾフスキー市場では、中国人卸売り業者が台頭、中国人の経営者が他民族(ベトナム人など)を雇うまでになった。同胞相手の商売も繁盛し、中国人の集団は実質上「チャイナタウン」といえるほどに成長した。

現在、中国人が多く住む地域はミール大通り沿線、イズマイロフスキー周辺で、現にコスモスホテル(映画「ディ・ウォッチ」の舞台となっている)やホテル・イズマイロヴォでは、中国人オーナーが何フロアか借り切って営業。中国人オーナーのカジノもある。

ちょうどSARSが流行した頃、中国人が多く住むこれらの地域は、ロシアDormitry 人の畏怖の対象となった。多くの中国人がいわれのない差別を受けたというのは言うまでもない。

近年、中国卸売りセンターは安い不動産物件を求めて、モスクワ郊外へと移動している。モスクワのチャイナ・パワーは計り知れないものがある。

Tiankeleng 左:新アルバート通りにあった中国系マーケット「天閣隆」。中国製品や食品を安く提供、本格北京ダックを食べられるレストランも併設していたが、SARS騒ぎのあと店じまいした。中国からの物資輸送が困難になったためと思われる。

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24.05.06

魚事情

モスクワでは鮮魚を入手するのがたいへんだった。生で手に入るものといったら、ほとんど川魚。フナのような魚やドジョウっぽい正体不明の魚をバケツに入れた移動販売車が市場にやってくる。どこでとれたかもわからず、泥臭さが苦手な私は最初から敬遠していた。イクラも気をつけないと偽物や粗悪品をつかまされる。市場に売っている魚は、冷凍と解凍を繰り返したものかもしれず、あまり気持ちのいいものではない。

というわけで、現地で食べていた魚はほとんどマーケットに売っている冷凍魚、または奮発して生シャケ。どこでどういう魚を売っているかという情報はクチコミで伝わるのが常で、どこどこのマーケットにシシャモがあったと聞けば、大挙してそのマーケットに向かった。また、フランスから直輸入の魚が入る店ができたときは近所の日本人たちと買い出しツアーを組んだ。

ちなみに、モスクワには寿司屋があちこちにできているが、そこで使われるネタはたいていアメリカ、カナダ、ノルウェーからの空輸魚だそうだ。

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写真:魚売り場の様子

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23.05.06

給湯が止まる初夏

一年を通じてもっともよい気候5-6月。しかし、たまに雪が降ったり雨が続いて寒かったりする。そういう時候にモスクワでは約2週間、お湯の供給が止まるのだ。

都市部における給湯システムは、テッツ(ТЭЦ)というお湯工場からでかいパイプを通って各地域、各建物に送られる。毎年この時期行われる供給停止は、工場の修理・点検のためということになっている。工場の管轄地域ごとにお湯が止まるので、うちはもう始まったわ、あら、うちは来週からよ、などということになる。

我が家では60リットル焚きの給湯器が取り付けられていて、お湯が止まる時期はガスで沸かしてシャワーを浴びていた。それでも5分もお湯を出し続けるとしだいにぬるくなって来る。おまけに湯船にお湯をはれない。写真にあるようなコイル式湯沸しをお湯にさしこんで保温していたが、これもあまり効果なし。仕方なく5分でシャワーを浴びる術を編み出すに至った。

最近の新しいアパートでは、建物自体に給湯施設を備えており、お湯工場が点検に入っても1年中給湯が止まることはない。ただし、そういう住宅に入れるのは、一部の金持ちか外国人。一般ロシア人はやかんでお湯を何度も沸かしたり、水を浴びたりしてこの時期を乗り切るのだ。

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21.05.06

サハロフ・ミュージアム

サハロフ博士はソ連時代の著名な物理学者。反体制だったため、妻と共にゴーリキー市Sahalov_museum_1 へ「流刑」され、1975年ノーベル平和賞を受賞した。晩年はペレストロイカを支持し、世界平和のために活動した人だ。

Sahalov_museum2_1 1996年、クールスカヤ駅から徒歩15分くらいの林の中に、サハロフ・ミュージアムがオープン。博士の生涯をたどるさまざまな記録のほかに、常時人権や平和活動に関する展覧会、セミナーを行っている。

私は2度訪れたが、日本人もたびたび訪問する場所らしく、記帳ノートにいくつか日本人の名前を見つけた。今年、10周年を迎えるサハロフ・ミュージアムだが、NGO活動を規制するプーチン政権下でこの組織も大きな影響を受けているらしい。

ソ連時代の大量粛清を糾弾したり、チェチェン戦争に真っ向から反対するなど思い切った活動が主力なだけに、時代の流れがこのミュージアムを弾圧の対象としていくのではないかと懸念される。Sahalov_museum3_1 Sahalov_museum4_1

Музей и общественный центр им. Андрея Сахарова

Ул.Земляной вал, Дом 57 стр.6

Метро Курская, Чкаловская

入場無料、月曜休館  Tel 495-923-4401

www.sakharov-centre.ru

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19.05.06

帰国1周年

モスクワから帰国して、今日でまる1年がたった。本当に時間がたつは早いものです。

それにしても、今年の日本は連休以降、まるで梅雨が始まったかのような天気が続いている。本来ならば日照時間も長く快適なはずの梅雨前が、まったく楽しくない。

ロシアの時間感覚が残っている私には、5月で日没が19時前だということに慣れず、「あれ、もう日が暮れちゃった」という感じで日々を送っている。

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15.05.06

日本庭園での茶会

Ikebana 毎年6月になると、モスクワにある裏千家同好会が、日本庭園で野点の会を行う。

私は2002年に一度参加したが、茶道に関心の高いロシア人が多いことに驚いた。参加者は、菓子の準備があるためあらかじめOtemae 申し込みが必要だ。600ルーブル弱という、ロシア人にとってはちょっと高めの料金設定だが、すべての時間帯がソールドアウトになるほどの好評ぶり。

野点をやるのは、日本庭園の中にある東屋である。和服を着たロシア人が、まず日本茶の歴史、作法、千利休の話について講釈を垂れる。その知識の豊富さたるや、日本人の私が恥じ入るほどである。やがて菓子が振る舞われ(材料の関係で干菓子が多いようだ)、抹茶が点てられる。みんな茶筅の動きに興味津々。お茶が供されると、今度は神妙な手つきで茶碗を持ち、抹茶を飲み干していた。 Otemae3 Otemae2_1

たいていのロシア人は椅子に腰掛けていたが、正座にチャレンジしたい果敢なロシア人もいた。

さらに、当日はいけばなのエキシビション、書道の体験コーナーもあり、日本文化に造詣の深いロシア人が訪れた人にいろいろと説明を行っていた。特におもしろかったのは書道コーナー。Shuji 「あなたの好きな言葉を言って」と和服姿のロシア人が尋ね、その言葉に相当する漢字一文字を手本に書く。その後、チャレンジャーが筆をとって、手本をまねて字を書くという趣向だ。Shuji2 この日、日本庭園を訪れた人たちは、ひとしきり日本文化を体験していったようだ。

Teapavilion

モスクワ裏千家のサイト:

http://www.chanoyu.ru/

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14.05.06

モスクワ動物園 その3 ホッキョクグマ

ロシアでは茶色い熊を見ると、皆「ミーシャだ!」とおおはしゃぎ。イヌのことを「ポチ」、ネコのことを「タマ」というのと同じ反応である。

ロシアの熊は「ミーシャ」という愛称だけではない。「ミハイル」という本名を持ち、姓と父称も持っている。ほとんど人間と同じ扱いだ。ところがシロクマにはこのような名前はない。住んでいる地域が違うのだから当然といえば当然だが、ちょっとかわいそう。

ところで、温暖化の影響で絶滅が危惧されるホッキョクグマ。モスクワ動物園では、2頭の小熊が元気に育っていた。

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11.05.06

モスクワ動物園 その2 アムールトラ

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もともとネコ科の動物はそれほど興味はなかった。しかし99年に初めて子トラを目撃、そのかわいらしさにぞっこんとなった。その後、親トラの優美なルックスと堂々たるしぐさ(でもときどきネコっぽい行動も見せる)に魅せられ熱心なトラ・ファンに。私のモスクワ動物園通いの目的は、ひとえにアムールトラを見るためであったと言っても過言ではない。

帰国前、最後の動物園訪問のとき、アムールトラは私の前に40分近く姿を見せ、歩き回って最後に水遊びまでやってくれた。モスクワ動物園のアムールトラに、またまた会いたくなっている今日この頃である。

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10.05.06

モスクワ動物園 その1

Cheetah_1CraneJapanese_monkey_1   Black_puma   

モスクワにいたとき、劇場の次に足しげく通ったのは、モスクワ動物園である。

タイガに住む希少な動物のほか、日本から贈られた丹頂鶴やニホンザルもいて、なかなか味わい深い動物園だった。

左より、アムールヒョウ、丹頂鶴、ニホンザル、黒ヒョウ

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左より、コイ、ライオン、熊、シベリア山猫、ただのネコ

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09.05.06

戦勝記念グッズ

2005年5月9日は、戦勝60周年を記念する大パレードが行われた。それにあわせ、記念グッズも続々登場。手近なところでは地下鉄やバスの切符だ。裏面などにそれらしい意匠がMemorial_tickets 施されている。

極めつけは赤の広場で行われた戦勝記念パレード招待者に配られた、「戦勝記念品詰め合わせ」。グレーのリュックの中には写真のような記念ロゴ入りグッズがごろごろ入っている。中でも水筒はアーミーっぽくて一番ウケた。

今年は節目から1年たった61周年目。どんな記念グッズが作られているのやら。Victory_goods

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07.05.06

愛国人形劇

去年の5月9日、オブラツォフ記念国立アカデミー中央人形劇場の劇を見に行った。出し物は「外套を持て、家へ帰ろう!」(Бери шинель,пошли домой!)。人形劇場なので観客の大半は子供。だが、この日は大人が多く、いきなり劇が始まる前に全員起立。あれ?と思っていると、国家斉唱が始まった。私だけ座っているわけにもいかずおずおずと立ち上がる。皆が歌い終わるまでの時間が長~く感じられた。

Obraztsova0078 着席するとおもむろに幕が上がり、いきなり戦場シーン。なぜか人形より人間が演じる場面が多く(人形は回想シーンしか出てこない)、この劇場の代表作「珍しいコンサート」(Необыкновенный концерт)のイメージがある私にとって、ちょっと退屈な出し物であった。

対独戦勝記念日ということから、この日はいろいろな劇場で戦時に思いを馳せる演劇がかけられる。特に戦後60周年を祝った2005年は、この傾向が顕著だった。人形劇場も例外ではないが、どのくらいの子供たちがこの日の出し物の意味をわかっているかは不明。しかし、この国では愛国教育は幼少時から始まるのだと確信したのであった。Puppet_theatre1

Государственный академический центральный театр кукол имени С.В.Образцова

ул.Садовая-Самотечная д.3

www.puppet.ru

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04.05.06

イベントシーズン到来

近年、モスクワで開催される音楽フェスティバルはオリンピックスタジアムや軽飛行場などで開かれ屋内屋外問わず巨大化。スポンサーも多彩だ。目玉となるバンドも稼ぎ時とばかりいろいろなロックフェスティバルに出演し、関連グッズも発売される。今や音楽フェスティバルは単なる音楽祭ではなく巨大市場の様相だ。今日は、初夏から夏にかけて行われる主なフェスティバルを紹介してみる。

1.「МК-Бульвар」愛読者デー 大衆紙モスコーフスキー・コムソモーレッツ(通称МК, Московский комсомолец)付属のテレビガイド誌「МК-Бульвар」(エム・カー ブリヴァール)主催の読者イベント。読者でなくても参加できる。ルジニキースタジアムで行われ人気あるバンドや歌手が出演したり、出店やゲームなどでにぎわう。純粋なロックフェスティバルではないが、人気あるイベント。 http://www.mk.ru/

2.Maxidrom(マキシドローム) 今年で第11回を数える。開催場所はオリンピックスタジアム。以前は5月の最終日曜日に行われ、ロシア国内の「旬」なバンドが出場していたが、最近は「インターナショナル」の名を冠し、国内外の実力派ロックバンドを招聘、開催日も6月になっている。主催はロック専門FM局、Maximum。詳しい体験記はまた後日。http://www.maximum.ru/

3.Муз-ТВ(ムズ-TV) ポピュラー音楽専門FM、Муз-ТВ主催の音楽フェスティバル。ロックバンドに限らず、人気あるアイドル系歌手も多く出場。開催場所はオリンピックスタジアムだ。FM局・テレビ局による同様のフェスティバルは、MTV Russia、Русское радио(ルースコエ・ラジオ)、Europe Plusなども行っている。http://www.muz-tv.ru/

4.Пивной  фестиваль 6月、7月になると、ビール会社主催のイベントが続く。Тинкоффなどのビール会社がわりとよくロックバンドをCMに起用しており、メインスポンサーとなっている。観客はビール片手に音楽を楽しむ。

5.アメリカ独立記念日イベント 7月4日のアメリカ独立記念日を記念して、例年クスコーヴォ庭園で開かれている。ロシアの「親米」「優良」バンドが招かれて演奏するのが恒例。

6.Крылья (クリーリヤ) モスクワ北西部にあるトゥシノ(Тушино) 飛行場で例年6月の終わりから7月に行われる。広大な敷地に集う若者の群れはロシアのウッドストックというべき雰囲気であるが、2003年には自爆テロが起き、コンサートに来ていた若者が犠牲となった。http://www.krylia.ru/

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03.05.06

トーポリアレルギー

東アジアでは、今年は黄砂が広範な被害をもたらしている。一方、モスクワではなんといってもこのトーポリ(тополь)という植物。この時期花が咲き、6月上旬ごろ種ができる。Topoli2

トーポリは、中国では柳絮(りゅうじょ)と呼ばれており、主に東北地方でよく見られる。ポプラの一種で、綿毛のついた種子が風に乗って遠くへ運ばれる。その生態自体はタンポポと同じで珍しいものではないが、この綿毛の量が尋常じゃないのが問題なのだ。目も開けられないくらいの、「トーポリ吹雪」になるときもある。トーポリ吹雪の日には交通事故なども起こりやすく、呼吸器疾患の人はマスクなしでは外出できなくなる。あちこちにできる吹き溜まりは、まるで降雪と見まごうほど。しかも最近は、白樺と並んでトーポリによるアレルギーも深刻な問題となっている。

戦後、成長が早いという理由でたくさん植樹されたトーポリだが、戦後60年もたち、かつての苗は大樹に。綿毛が飛ぶのを嫌って切り倒される傾向にあるが、トーポリにしてみれば迷惑な話かも。

Topoli

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