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сентября 2006

30.09.06

クラブ「Не Бей Копытом」

Building

典型的なソ連式アパート群の真ん中に忽然と現れる「ローカルボリショイ劇場」風なたたずまい。ソ連時代、ピオネール活動のため使われたと思われるこの建物は、モスクワ南西部ウーリッツァ・ラメーンキ(Ул.Раменки)にある。ソ連崩壊後「展示会場」と名前を改められ、事実上雑居ビルとなった。建物内に、主に学生たちが集うクラブ「Не Бей Копытом(ニェ・ベィ・カピートム)」が創設された。

初めてこのクラブの存在を知ったのは、モスクワ大学構内の張り紙から。メジャーなバンドから学生バンドまで、多彩な顔ぶれがステージを踏んでいたようだ。

私はここで実際にライブを見たことはないが、「展覧会」で何度か足を運んだ。クローク係の朴訥としたおじいさんと、この建物が「ライブハウス」であることが、なんとなくそぐわない不思議な空間だった。

Ne_bei_kopytom_19980059

Ne_bei_kopton

Ceiling

Wall

http://www.nbk.orc.ru/

写真左ライブのチラシ

中央左:クロークはなんと地下鉄車両風

中央右:ピオネールを思わせるレリーフ

右:天井の壁画。ソ連時代の宇宙政策を彷彿とさせる。

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26.09.06

芸能人お料理番組「Смак」

「音楽と料理はどこか共通点がある」。 と、誰かが言っていた。なかなか真実をついた言葉だ。両者とも技術の研鑽が必要だし、他人に供して喜んでもらうという形は同じだ。私が思うに音楽も料理も創造という点では一致している。音楽をやる人が素材や料理法にうるさいのも、そういう要素があるからだろう。

199Smak00717年から始まった料理番組「スマック」は、ロシアロックの重鎮、「マシーナ・ブレーメニ」のアンドレイ・マカレィヴィッチがギターを包丁に持ち替え、多様な有名人をゲストに迎えて自慢料理を作っていくという、日本じゃよくあるけれどロシアじゃめずらしい趣向の番組だった。

ちょっと気取った料理はもとより、おふくろの味的なものまで、レシピは多種多様。番組ロゴの入った特製エプロンもしゃれていた。

まさにロシア語を勉強しながら料理も学べる一石二鳥な番組! しかも音楽をやっているときと別の顔をした芸能人が見られる、ということで、私は毎回欠かさずこの番組を見続け、ビデオも買ってしまったのであった。

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25.09.06

オスタンキノ宮殿コンサート

モスクワ北部にあるオスタンキノ宮殿Oskankino_teatr1_1 (Усадьба Останкино)Ostankino1。農奴あがりの貴族シェレメーチェフによって18世紀に建てたられ、広大な敷地には教会、宮殿、そして彼らが自ら演じ、鑑賞するために作られた劇場がある。

日本でいうなら地芝居の小屋というべきか。

例年、夏から初秋にかけて、この宮殿ではオペレッタが演じられる。空調のない建物なので、年中出し物をやるのは無理なのでこの時期に限られるのだが、「プロ」が演じるにしては少し学芸会っぽい素人的雰囲気がただよう。しかし、歴史建造物の中での観劇は、普通の劇場で見る出し物と違い、非日常の感覚を楽しめた。

同じような季節限定のコンサート・演劇は、ツァリツィノ宮殿、アルハンゲリスコエなどでも行われており、年々盛んになってきている。

Ostankino_teatr

Ostankino2

Ostankino0086 ←宮殿入り口の「駒獅子」。

               →オペレッタのプログラム

Tower_and_palace ←宮殿の庭から、オスタンキノテレビ塔を望む

http://www.museum.ru/museum/Ostankino/

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22.09.06

権力者の視線

Lgalereya0070 2005年冬、ある小さなギャラリーで、おもしろい個展が開かれた。展覧会の名は「大統領の目で見たモスクワ」。

大統領が通勤する車窓からモスクワを見たら、こんな感じなんじゃないかというコンセプトの白黒写真である。道行く人々の下半身、バス停でぼーっとしているおばさん、巨大な広告の数々。どれも私にとって等身大で、非常に見慣れた風景の「一部分」だ。

ロシアの大統領は特別に強化された防弾乗用車で、毎日モスクワ西部の大統領宅からクレムリンへ通っている。

大統領が通る時間になると、通勤路(ルブリョンスコエ街道~クトゥーゾフスキー大通り~ノーヴィ・アルバート~クレムリン)がまず封鎖される。サイレンを鳴らしたパトカーが先導し、時速200キロはあろうかと思われる速度で大統領の車が疾走していく。ロシア国旗をつけた黒塗りのセダンは護衛車数台に取り囲まれている。ラッシュ知らずのご通勤だ。一般車両は封鎖が解除されるまでじっと我慢しなければならない。

個展を開いた写真家のドミートリィ・シュービンは、個展のパンフレットの中で次のように述べている。

「権力とは何か、そしてそれは日常とどう関係しているのか(もし関係しているとすれば)。一日一回往復する通勤路の車窓から、何を見ることができるのだろうか。それはどの程度現実とつながっているものだろうか」

展示されている写真は、すべてある一日のうちに撮られたものだそうだ。大統領はこの風景を現実世界ととらえているか、それとも単なるパノラマととらえているか、ご本人でない限り知る由もない。

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20.09.06

ロシア人から習った、5分でできる酒(?)のつまみ

Starters

いきなりウォッカを飲むのはおっさんだ。つまみに適しているのは、きゅうりのピクルス、レモン、干し魚など。こういうお客は自分でつまみを持参したりする。

それ以外のフツーの来客に対応した、便利なつまみの作り方をロシア人に教えてもらった。

上左:オリーブの実をサーモンで包んだもの。材料だけでも豪華に見える。

上右:冷凍パイシートをオーブンでさっと焼き、赤イクラをのせる。

Apple_pie 冷凍パイシートに自家製りんごジャムや生のスライスりんごを巻いて焼くだけ。甘いものでも酒のつまみ。ロシア人は基本的に両党である。

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19.09.06

壁で会う

人と待ち合わせるときによく使われるのが地下鉄駅構内だ。天気に左右されないし、なにより場所代がいらない。

日本人と待ち合わせるときは、だいたいエスカレータ付近とかプラットホーム中央とかだが、ロシア人と待ち合わせるときは「на сцене(壁のあたり)で会おう」と言うことが圧倒的に多い。これはロシア人の生活の知恵だ。エスカレータの付近だと乗降客の邪魔になるし、ホーム中央部だと柱の影で見えないこともある。壁のあたりだと間違いがないし、混雑していても探しやすい。

しかし、これにも盲点がある。

モスクワ地下鉄には二つのタイプがある。プラットホームの片側がエスカレータでもう片側が壁になっているタイプ(たとえばキエフスカヤ環状線駅やオクチャーブリスカヤ環状線など)、そして両側が出口や乗換え口になっているタイプ(クールスカヤ、プーシキンスカヤなど)である。

「壁」のない駅では、やはり「ホーム中央あたり」とかどちらの出口付近とかで待ち合わせることになる。

ところで、豪華な装飾が施されているモスクワ地下鉄は、「壁」もその駅の名称にちなんだモニュメントがあっておもしろい。私はもっぱら「壁待ち」派であった。

Shosse_entuziastov ←ショッセ・エントゥージアストフ駅(Ст. Шоссе энтузиастов)             Polyanka

    →パリャンカ駅(Ст.Полянка)

Babushkinskaya ←「壁」のないタイプの駅

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15.09.06

ロックコンサート~日本人の目線から

ロシア人は日本人より背が高い。これはもう自明のこと。たまに160センチそこそこの小柄なロシア人もいて、妙に嬉しかった。だが、背が低いことはロックコンサートでは絶対不利。ましてや肩車してくれる彼氏もいないわけだから悲惨の極地だ。

1998年、2日間にわたって行われたムーミー・トローリのコンサートは全てオールスタンディングだった。初日、生のイリヤ見たさにでかいロシア人の群れをすり抜けて、ステージの近くにつけた。しかし、これは愚かな判断だった。私の周りは林立する高層ビルのようなロシア人たち。歌っている本人はおろか、モニターすら見えない。頭上は、ロシア人の振り回す腕が飛び交い、怖くて上も向けない。もちろん、ぎゅうぎゅう詰めだったので、移動も不可。

2日目、教訓を得た私はホール後方に陣取った。今度はモニターは見えるが、ステージ上のパフォーマーは豆粒大。双眼鏡を取り出すが、ノリノリの観衆の中で、その行動は異様に目立ったようだ。横にいたロシア人らから、「双眼鏡貸して貸して~~」の連発に遭うハメに。ステージから遠かったが、2日目の方がマシだったか。

1999年オリンピックスタジアムで開かれた「ディスコ・マニア」というオムニバスコンサートも悲惨だった。ロシアでいう「アリーナ」は「タンツィヴァリニィ・ザール」といい、ステージ真っ正面のスタンディング席に相当する。当然、周りは熱狂的に踊るロシア人男女にあふれ、スポットライトは当たるわ、天井からテレビカメラがクレーンのように迫ってくるわで、音楽を楽しむどころじゃない。周りの男女も、主役は踊りまくっている自分、という感じだった。

結論。ロシアでのロックコンサートは、ステージと観客の距離が近いライブハウスに限る。

Applause1 Applause2 Applause3

←私の視線の高さはこんな感じ

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11.09.06

劇場シーズン到来! と、現実的瑣事

9月も半ばになると、大半の劇場では新しいシーズンが始まる。レパートリー制をとっているロシアの劇場では、シーズンごとに出し物をちょっとずつ変えていくので、今シーズンどんな出し物がかかるのか、いち早く知ることはとても大事なことだ。

さらに大事なのは行き帰りの安全。劇場シーズンは日没が早くなる時期だ。見たい演劇が何幕あるのか、休憩を含めて何時間かかるかを事前に知ることは、帰りの足をどうするかに直結する。一幕もので短ければあまり問題ないが、上演時間が3時間を超えるなんてことになると、帰りの交通手段を考えておかねばならない。駅から遠い劇場なら特に要注意だ。

afisha.ru などで演劇情報が検索できなかった頃は、もっぱら「Театральная Афиша 」または「Ежегодный Каталог」を見るか、劇場窓口で何時に終わるか聞かねばならなかった。このごろは帰宅手段を重視する人が増えたためか、劇場窓口にもネットにも上演時間を明示するようになった。Thetre_guides

しかし、新作は演じる側が慣れていないこともあって、予定上演時間に収まらないときもある。そういうときは観客も多少イラつくようで、まだ終わっていないのに席を立つ人も珍しくない。

終電の心配もせずに心行くまで演劇に酔っていた時代なんて、遠い過去のことになってしまったようだ。

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10.09.06

パステルナークの家博物館

モスクワ南西部にあるペレジェルキノ(Переделкино)というところは、いわゆるインテリゲンツィヤのダーチャが集まるところで有名だ。昨今はここに自宅をもつ人も現れ、すっかりモスクワ成金連中のベッドタウンになっている。

さて、私が「ドクトル・ジバゴ」の作者、パステルナークの家博物館を訪ねたのは1999年のこと。キエフ駅から郊外電車に乗って約40分。頼りといえば「地球の歩き方」の情報のみ。今ほど観光地化されていなかったので、ペレジェルキノ駅に到着してから途方にくれた。なぜかというと、郊外では通りの標識が極端に少なく、住居表示もはっきりしていない。通りと番地さえわかればどこへでも行けるモスクワ市内と大違いだ。

Pasternak1 しばらく駅の周囲をうろついていると、「パステルナーク⇒」の板切れをみつけた。その方向に向かってなんとなく歩いていると、たどりついてしまった。当時の私は、直感のような方向感覚が備わっていて、行ったことがないところも地図が詳しくない所も、なんとなく到着してしまうのだった。今ではそういう第六感も方向感覚も鈍ってしまい、偶然たどり着くということはできなくなってしまった。

                                            Pasternak2

Pasternak3

アジア系の訪問者が少なかったためか、案内のおばさんに目を付けられ、ずーっと説明を受けることになった。はじめはまじめに聞いていたが、だんだん疲れてきて何言ってるかわからなくなった。あとはひたすら「そうですか、そうだったんですか、わかりました、すばらしいですね」を連発するのみ。もっと静かに見学したかったというのが本音である。

ちなみに、私はパステルナークの作品では「ドクトル・ジバゴ」しか知らず、彼の詩人としてのすばらしさを認識しないまま訪問してしまった。もし彼の詩を事前に知っていたら、国際的名声と国内での不遇をどう感じながら、彼がこの家で過ごしていたか、もう少し想像できたかもしれない。

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07.09.06

ニット工房

モスクワ在住の日本人の間では、服のオーダーがちょっとした流行だった。なにしろ日本で作るより3~4割も安いし、言葉の壁さえ突破すれば、自分の思い通りにオーダーできる。

Knit_fabric

そう誘われてついていったのがニット工房だった。

地下鉄クールスカヤからさらに東へ行き、ウーリッツア・ラジオというところにそのアトリエはあった。建物は古く、門構えも怪しい格納庫みたいな感じ。しかし、足を踏み入れると、そこには作業場併設のニット工房が存在していた。

「どんなものが作りたいの? 日本人なら大使館職員の奥さんたちもしょっちゅう来てるわよ。見本以外からも作れるから選んでみて」 工房の支配人は分厚い見本ファイルを手渡した。

Knit_fabric3

どれもイマイチぴんとこない。私が持っていったデザイン画は、「これは手編み用ね、ここは機械でニット生地を作ってから裁断するからちょっと無理」と断られた。

しょうがないので、無難にニットのスーツを作ることにした。糸室に案内され、好きな色を選べという。ボルドーを希望したが、その色の毛糸は在庫が少ないとまたも断られた(なぜ再入荷しないのか、そのときは謎だった)

Knit_fabric2

迷いに迷った末、「スビョークラ色(とオーダー受付のおばさんが言った)」の糸を選んだ。せっかくモスクワでオーダーしたんだから、ちょっと変わった色に挑戦したかったのだ。

糸が決まると、採寸。デザイン画を見ながら、裾や袖丈の希望を述べる。裏地やファスナーを決め、前金を払う。なぜかボタンは自分で用意しろと言われた。

10日後、試着に来いと電話があった。仮縫いしていあるスビョークラ色のスーツを試着する。つけてもらうボタンを持参し、着心地や長さのチェックをして終了。

さらに10日後、できあがったという電話があった。試着はしているものの、どんな出来上がりかドキドキである。

Knit_suitsそしてできあがっていたのが←のようなスビョークラ色のスーツであった。残金を払いめでたく引き取る。本当はそのまま着て帰る予定だったが、同行者の分がまだできあがっていなかったので、遠慮することにした。

このニット工房、気に入ったのでまたオーダーしようと思ったら、支配人が「実はこのアトリエ閉鎖になっちゃうの。別の所にオープンするかもしれないからまた来てね」と言った。

糸を再入荷しない理由はこれだったのだ。モスクワでオーダーしたニット服は、このスビョークラスーツ一着だけとなった。

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06.09.06

スイカとメロン(Арбуз и дыня)

食材ネタをもう1本。こちらは先月アップし忘れたテーマ。

モスクワでは夏になると檻に入れられたスイカの山をよく目にする。コーカサス地方からトラックで運ばれてきたものだ。夜は盗まれないために、売り子が交代で寝ずの番。初雪が降っても、スイカの檻は撤去されることはなく、ひどいときは12月まで売っていたりする。

そんな不思議な光景にもすっかり馴染み、私はスイカやメロンをよく食べた。ところが、ロシア人からこんな警告を受けた。「スイカもメロンも出端はダメ、ひょっとしたら早く大きくするためのクスリを注射してあるかもしれないから」

Melon01 そうなんだ、あんなに立派なスイカもメロンも実は薬漬けなんだと思うと少し引いたが、食べたいものは食べたい。唐草模様の風呂敷を持って市場に行くと、売り場のおじさんが「姉ちゃん、いいもの持ってるね、今度ワシにもくれ」と迫られた。

なんといっても日本と同じもののようでちょっと違う。スイカは種の周りが薄くゼラチン質の膜に包まれており、果実は日Dinya1 本のものに比べ水っぽい。果実の赤さが日本のものより薄く、スジがある。「非常においしい」とは言えないが、スイカは好物なのでつMelon02 いつい見かけると買っていた。

対して、メロンは中国・新疆などで採れるハミウリといわれるもの。長細い球体で果肉も黄色。水分が多く、あっさりした甘さだった。日本ではポピュラーでないのが残念だ。

Dinya2

困ったのは、これらウリ科の果物は利尿作用が大きいということ。お茶によばれて、デザートにスイカがでてきたときは寄り道せずに帰宅しなければならなかった。

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05.09.06

ナーシ・ネーシ(Наши Нэши)

キエフ駅近くの市場、「ダラガミーロフスキー」は、近所の日本人村住民もよく通う。

いつの頃からか、野菜の名称がまるっきり日本語なものが現れた。そのひとつが「ダイコン(Дайкон)」。日本のものより繊維質だが、冬などまるまると白く水っぽくなくておいしい。Daikon

そして「シータケ(Шитакэ)」。その名の通り椎茸である。キノコ王国ロシアにもついに日本の椎茸が受け入れられたのかと思うと、やや誇らしく思える。

さらに、梨までも「ネーシ(Нэши)」と呼ばれていた。こちらはいわゆる西洋梨ではなく、日本で一般的なタイプ。そのうち、マンダリン(みかん)も「ミカーン」になるのではないかと、ひそかに思っている。

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03.09.06

歌う修道女

オスタンキノ宮殿を見学しに行ったときのことだ。

なにやら歌声がするのでSisters 女性の集団物乞いかと思ったら*、なんと近くにある教会から修道女が出てきて歌っていたのだった。

その様子がなんとものどかで、いかにも東欧的なので、遠くから写真を撮ってしまった。彼女らの声はオスタンキノ宮殿の中まで響いていた。

* モスクワには、聖歌を歌う物乞いの人たちがかなりいる。彼らは主に夫婦や二人組でやっていて、その歌声は相当遠くまで響く。

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