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мая 2009

31.05.09

「OM」編集部アポなし訪問の思い出

気に入った雑誌がみつかると、編集部を訪ねて見たくなるという妙な性癖を持っている。モスクワのキオスクで「見かけたら購入」していたのは、ロック音楽雑誌「FUZZ」、それから90年代はわりと音楽に比重が置かれていた「OM」であった。ロシアでは、新聞・雑誌の類は主にキオスクで買うという慣わしになっていたので、場所によっても値段がばらばら。しかも同じキオスクで次号が必ず入るとは限らず、いつも出たとこ勝負であった。

そういうわけで、どうしてもバックナンバーがほしい私は、「OM」の編集部に直接談判に行くという暴挙に出たのであった。

奥付によると、「OM」の編集部は地下鉄スパルチーブナヤとパルク・クリトゥーリの間あたりにある。住所と地図を片手にあたりをうろつくが、石造りの少々古めかしいアパートが連なっているだけで、該当する番地にもプレートらしきものがない。しかたがないので、「該当番地」の建物に入り、たまたま警備がいたので「OMの編集部はどこですか?」と尋ねた。すると、あっさりと「こっちの部屋」といって案内してくれた。当時はまだプロプスク(入構証)や許可証がいるなどとうるさいことを言わなかったため、ノーアポ、ノードキュメントでまんまと編集部に入りおおせた。

当然、編集部の受付嬢はいきなりやってきた東洋人にびっくりした様子で、「いったい何の用ですか?」 とりあえずバックナンバーがほしいというと、別室に通され編集部に残っているものをもってきてくれた。ロシアでは編集部で直接買えば少し安くなるということを知っていたので、割引をお願いして、そこにあるすべてのバックナンバーを購入。おもむろに風呂敷を広げ、「OM」を包んで持ち帰った。

さすがに編集部の内部を観察ということはできなかったが、音楽・サブカルチャー雑誌の編集部にしては学校みたいなマトモさで正直驚いた。紙類はあまり散らかっておらず、パソコンも1~2台あるだけ。みな黙々と机に向かっており、雑誌の中味とは落差がある。

2004年ごろから、ロシアのバブル景気に乗った派手なクラブライフみたいな内容に変わってしまい、私も「OM」ではなくて「FUZZ」だけ買うようになってしまったが、ちなみに「FUZZ」は発行組織がサンクト・ぺテルブルグにあるので、編集部訪問は実行できなかった。

http://www.om.ru/Om_zemfira

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29.05.09

モスクワの一般薬局

ロシア語で薬局のことを「アプテーカ аптека」という。目印は緑地にランプとヘビのマーク。これはヨーロッパ世界では共通で、ギリシア神話に由来する。WHOもこのマークを使っている。

36.6などのチェーン店ができる前は、番号が名称だった。小中学校もそうだが、いかにも味気ない。しかも取り扱う薬剤が薬局ごとに微妙に異なり、処方箋を持っていってもその薬の取り扱いがない場合は、よその薬局を「番号」で紹介される仕組みになっていた。

あるとき、手を怪我したが消毒薬が切れていたため薬局で「オキシドール」または消毒用アルコール(спирт)を買おうとした。ところが「うちには置いてない」といわれ面食らった。代用したのはヨード(йод)だった。
ちなみに、「モスクワは住環境が悪いから」と知人に勧められて服用していたのが「ヨード・アクティブ」という白い錠剤。いったい何に有効なのか忘れてしまったが、まさか残留放射能対策だったりして・・・。

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20.05.09

おうちがどんどん遠くなる~帰国4周年

モスクワから帰ってきて、4年目となった。
日々薄れていくモスクワの記憶。それでも時折起こるフラッシュバックはとても鮮明だ。

不思議なことに、夢の中にはモスクワの情景はまったく出てこないのだが、なぜか日本国内で懸命にロシア語を話そうとする夢を見ることはある。

また彼の地へ行くことはあるか? 

天変地異でモスクワがなくならない限り、可能性は残る。ただしその前に自分の寿命が尽きなければいいけど。

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18.05.09

ロシアの狛犬? 

Revmuseum01 Revmuseum02博物館や○○宮殿公園などの建物入り口に配置されている動物の像。なんとなく雰囲気が狛犬に似ているではないか。

さすがに日本の狛犬のように「あ・うん」ポーズはとっておらずやや芸がない感じだが、凄みがなくかえって親しみが持てる。

一般にロマネスク形式の建物はごたごたと装飾が多く、西欧文明を志向したロシアの野暮ったさがあまり好きではないが、この狛犬風の彫像だけは例外である。

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16.05.09

モスクワで受けたイタズラ電話

雑多な人間が住む大都会モスクワ。特に、外国人(非白人)には不当な暴力や嫌がらせというものもあり、当然生活リスクは高い。

一番不気味だった嫌がらせはイタズラ電話だった。
あるとき出先の携帯電話にかかってきた1本の電話。声の主は男。ロシア語で「おまえ、ベトナム人だろう」としつこく言う。私は返事もせずに切った。しかし、すぐさままた電話がかかってきて、「おまえ、ベトナムから来たんだろう」と繰り返す。今度は無言で相手のいうことをじっくり聞く。
すると、「ベトナム女とつきあいたい」とか言い出した。
今度は無言で切った。

しばらく携帯電話の電源を切り帰宅。つけたと同時にまたかかってきた。
今度は最初から「おい、ベトナム女」と言い出した。面倒くさいので、切らずに携帯をそのまま袋に入れて掃除機の音を中継してやった。それ以来かかってこなかったが、しばらく携帯電話の受信には過敏に反応するようになってしまった。

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15.05.09

ユーリー・キム(Юлий Ким)

日本ではブラート・オグジャワが圧倒的メジャーで、コリアン系のシンガーソングライターであるユーリー・キムはちょっとマイナーな存在。深刻で重厚なオグジャワより、ユーリー・キムの方が個人的に好きである。

Yuliy_kim ユーリー・キム(Ким Юлий Черсанович)は1935年モスクワ生まれ。母はロシア人のニーナ・フセスヴャスカヤ、父は朝鮮人のキム・チョルサン。幼いころはスターリンの恐怖政治と戦争のため、モスクワ近郊やカルーガなど各地を転々として過ごす。モスクワ教育大学の歴史哲学学部を卒業したあと、カムチャッカなどで教員生活を送る。学生時代から詩作をはじめ、1963年には映画「ニュートン通り 1」で初めて公式に作品を発表。

しかしのちに「反ソ的作品を作った」として、舞台・映画・コンサートなど発表の場を失うが、ユーリー・ミハイロフ、アンドレイ・クズネツォフらの助けを得ながら作品制作を続行。舞台シナリオなどを手がける。ペレストロイカ以降、ようやく作家同盟に加入しブラート・オグジャワ賞などを受ける。90年代以降は健康の問題もあり、ロシアとイスラエルを行き来している。

私がユーリー・キムを知ったのは、歌よりも戯曲の方だった。彼の作品は主にミュージカルで、本人も「ロシア初のミュージカルを作ったのは私だ」としている。ユーモア、皮肉、言葉遊びに富んでいて、哲学の先生らしく奥深い内容である。

http://www.internat18.ru/art/Yuliy_Kim.html

http://apksp.narod.ru/kim.html

Yuly_kim

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13.05.09

モスクワでの英語学習

ロシアで生活するにはロシア語が最重要。しかし、ロシア語ができない非ロシア人と交流するとき、コミュニケーション手段はやはり英語となる。

イディオムの嵐に辟易して、すっかり英語嫌い(受験英語嫌い)となっていたが、これを克服すべくモスクワで英語学習を始めた。
まずはIWC(International Women's Club)のボランティア講師によるサークルに参加。だが、これは参加者のレベルがバラバラで、どちらかというとフリートーキング茶話会に近い。そこで、次に考えたのがブリティッシュ・カウンシルの英会話教室にちゃんと受講料を払って通うというものだった。

モスクワのブリティッシュ・カウンシルは外国文献図書館(日本の大使館広報室も同じ建物)の敷地にあり、ゲートをくぐると職員の愛想のよさにモスクワであることを忘れてしまう。
私はIntermidiate(中級)クラスを受講。使用したテキストは「New Gateway」の中級レベルだ。
生徒は私を含め5人。もちろん、日本人は私だけ。先生はイギリス人男性であった。
ひとまわりも若そうなクラスメートと共に、あるときは役割練習、あるときはカードや図を用いたコミュニケーション練習など、いろいろ面白い内容だった。

しかし、休み時間や下校となるとクラスメートとロシア語で話してしまい、どっちかというとロシア語の練習になってしまうのであった。カーチャという女の子と仲良くなり、私の好きなロシアポップスの「歌詞聞き取り」とか、行ってみたいカフェに付き合わせるなど、いろいろ利用させてもらった。教室にはおよそ半年通った。

ロシア人は「イギリス英語」を正当と思っている人が多く、流暢な英語をしゃべる人はどちらかというとイギリスアクセントだ。

http://www.britishcouncil.org/ru/russia-english.htm

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12.05.09

キオスクの謎

キオスクはれっきとしたロシア語。そしてモスクワのキオスクには、いくつかタイプがある。地下鉄駅のキオスクのように、建物の一部にあり軒を連ねているタイプ。そしてもうひとつが写真のように可動式の独立タイプ。

商品の種類もいろいろだ。食料品、野菜、パンや菓子、新聞雑誌や文具などの雑貨、花、CDやDVD、携帯電話、アクセサリー、あるいは服や下着の専門キオスクまで、規模は小さいが非常に雑多なものを扱う。また、合鍵や靴修理などを扱うキオスク、両替商の入ったキオスク、劇場などのチケットといったサービス関係のキオスクもある。

売り子と店のオーナーの関係ははっきりわからないが、売り子は旧ソ連圏からの出稼ぎ労働者が多い。いつのまにか開店して長時間営業しているので、商品の仕入れルートなどもよくわからない。

ところで、キオスクで何時間も店番をしている人は、トイレ休憩はどこでやっているのか不思議に思う。これまでもさんざん書いてきたとおり、モスクワの公衆トイレ事情は悪く、観光地や繁華街でもない一般住宅街では、簡易トイレの設備もほとんどない。たまにみかける公衆トイレも、ときどき施錠されてしまうのだ。あんな狭くて冷暖房もない場所に長時間勤務するのは、かなり厳しい労働環境といえる。本当に儲かっているのか、疑問に思える商売のやりかただったが、モスクワ中心部では、環境美化の一環でキオスクが多数排除されてしまった。

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09.05.09

戦勝記念日

Неизвестный Солдат(無名戦士)/ 7Б

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06.05.09

モスクワで使った携帯電話

ケータイが普及した1990年代後半、携帯電話を「携帯」するには、「携帯電話携帯許可証」というものを「常時携帯」しないとブタ箱入りだった。実際、携帯許可証を持たなかったため、当局に逮捕・拘留された日本人がいた。

そんな信じられないような時代は過ぎ、今やロシアではGSM携帯の一大陣営としてケータイは日常生活に不可欠なものに。ノキアやモトローラ、サムスンやLGなど、世界のメーカーが参入し、携帯電話キャリアも一気に倍増。料金体系は日本のものと変わらないほど複雑だ。Mobile_phone

私がモスクワにいたころ使っていたキャリアはMTS(МТС、モビーリヌィ・テレ・システーム)だった。本人名義での使用期限はビザの期間のみ。ただし国際ローミングが使えるので、ロシア国内をはじめ、国外でも自動的にローミングされる。
料金体系ははじめ出始めたばかりの「レートニィ(夏の、という意味)」にしていた。ビジネス使用ほどガンガン使わず、お守り代わりに持ち歩く程度だったので、ダーチャで使用するコースとして作られたレートニィでちょうどよいと判断したのだ。その後、「スーペル・ジンス」というコースが出たので、こちらに乗り換えた。ところが、パスポートを盗られたとき携帯電話も一緒に盗られたので、最終的には「ジンス007」というさらに安いコースに変更。

携帯本体は、はじめモトローラのV66。買いなおしたモデルは、ソニーエリクソン。
SIMカードさえ入れ替えれば、どの携帯電話でもOKというGSMの世界にすっかりはまってしまった。しまいには、自宅の固定電話が雨水で使えなくなったときに、携帯電話をつないでデータ通信という使い方もするようになった。PDAをブルートゥースでつなぐ予定だったが、果たせず帰国となった。

ところで、ロシア人は電話好き。用事がなくても電話したがる。携帯電話も持ったが最後、いつでもどこでも電話したい気持ちは抑えられないらしい。一方、日本人はメールが好きな国民性(?)。私ももっぱらショートメール(SMS)を多用していた。SMSは、ちゃんとメールが到着したかお知らせしてくれる機能が便利。日本の携帯メールもなぜこういう機能をつけてくれないのか不満に思う。

GSM世界にどっぷりとひたって日本の携帯電話ワールドを見ると、確かにガラパゴスである。ただし、携帯1台ですべてが完結するのはさすがだ。

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05.05.09

効果が疑問視される広告

ときどき変なバーゲンセールや看板を目にするモスクワの店。これまで見た強烈バーゲンは、「скидка 100%(100%割引)」とか写真のようなすべてがタダというもの(写真は床屋の看板で、カットのみならずパーマ等もみんなタダ)。

しかし、ロシア人は「安かろう悪かろう」意識が強いので、こういう人寄せ方法はいかがなものかと思う。実際ロシア人に聞いてみると、「詐欺かもしれないから入らない」という。経費をかけて打った広告も、なんだか形無しである。

Prices

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