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июля 2009

31.07.09

チェルキーゾフスキー市場の閉鎖は政治問題?

モスクワ最大のお土産市場「ヴェルニサージュ」に隣接する巨大市場、「チェルキーゾフスキー」がついに閉鎖された。完全閉鎖の発端は、チェルキーゾフスキーで巨万の富を得たトルコの富豪が豪華ホテルでリチャード・ギアらをゲストに開業記者会見を行い、その後のパーティでドルをばらまいたことだという。これがプーチン首相の怒りを買った。

ロシア側から見て、チェルキーゾフスキー市場の商品はすべて「密輸品」であり、ロシア政府に税金も払われておらず、不法入国者・不法滞在者の温床になっているため「浄化」が必要とされたようだ。閉鎖の別の発端は、チェルキーゾフスキー市場で大量の「不合格」商品が横領されたことが発覚、その商品の大半が中国製品であったことである。

一方中国側は、突然の市場閉鎖はロシアの深刻な経済低迷があるとしている。プーチン首相やルシコフ・モスクワ市長らがチェルキーゾフスキーを標的とし、「浄化」作戦を実行、ロシアが中国製品を「排斥」する口実としていると分析している。

コレに対し、在ロシア中国大使館の経済商務参事官は、ロシアの制裁に断固反対しているもよう。

チェルキーゾフスキーで働いていた労働者約1万人は、大半が労働許可証を持たず、これまでに3度にわたって身柄を拘束される「不法滞在者狩り」が行われている。身柄を拘束されているのは、中国人、ベトナム人、タジク人などで、すでに強制送還も実行されている。また、チェルキーゾフスキー市場に貯蔵してあった商品は、ロシア警察に押収=私有化されるのではないかと危惧されている。

http://www.rb.ru/topstory/economics/2009/07/16/084956.html

http://www.vedomosti.ru/newspaper/article.shtml?2009/07/30/207569

http://zzwb.zynews.com/html/2009-07/10/content_97056.htm

http://epaper.syd.com.cn/sywb/html/2009-07/22/content_478989.htm

http://club.xilu.com/junshi7766/msgview-975644-78275.html

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27.07.09

イヌはいつもメス? СобакаとОна

「Она(彼女)はうちの警備員なんだよ」

家でイヌを飼っているロシア人がそう言ってわがイヌを自慢。目線鋭いオスのシェパードだ。オスなのに「彼女」? なんだか違和感を感じる私だった。

ロシア語の人称代名詞は、普通名詞の性によって使い分けられる。たとえば、本(книга)は「-а」で終わるから女性名詞、「それ」というときの指示代名詞は、「она(彼女)」である。журнал(雑誌)は子音で終わる名詞で「男性名詞」。指示代名詞は「он(彼)」である。кино(映画)は「-о」で終わる中性名詞、「оно」で受ける。無生物の場合こうしたルールはあまり気にならないが、一般生物の場合実際の性と異なるケースは少しとまどう。

たとえば前述のイヌ「Собака(サバーカ)」。「‐а」で終わる女性名詞だ。当然オスイヌも「она(彼女)」となってしまうので、なんとなくそこらにいるイヌはすべてメスという気分になってしまうのだ。

ちなみにネコの場合。котはオスなので「он(彼)」に合致し、кошкаはネコの総称だが、ネコ自体が女性的なので「она(彼女)」で受けてもあまり違和感がない。

言葉に性別がない日本語で思考していると、「ものにはみんな性別のついた名前がある」という思考の言語に対して不可思議さが増すのであった。

ただし、ロシア語の単語で男性・女性・中性形の見分け方は語尾のつづりを見ればわかるので、非常に覚えやすいといえる(Ъで終わるものを除き)。

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21.07.09

モスクワ大学学食とクリナリヤ

ロシア語を習いにモスクワ大学の中のロシア語センターに通っていたときは、昼からの授業だったこともありときどき学食に行っていた。夏場は食中毒が発生するから行かない方がいいといわれても、せっかくのチャンスを逃したくない一心で通い詰める。

ロシア語の授業はモスクワ大学本館そばの経済学部空き教室か、本館寮の空き部屋でやることになっていたので、主に本館食堂に行った。メニュー豊富なカフェテリア。これ、あれと注文するとおばちゃんが皿に取り分けてくれる。肉類などかなりボリュームがあるので、注意が必要だ。最後に黒パンと紅茶を取ってレジで支払い。だいたい20ルーブルもあればお腹いっぱいになっていたので(98年当時)、今から考えるとその安さは驚異的である。

学食でとりこになった食べ物のひとつがそばの実のカユ。日本人には「ばさばさしている」「においが強い」などの理由で嫌いな人も多い。また、そばの実なんてつけあわせじゃん、とバカにしている人もいるが、私はこれを主食にしてもいいほど気に入ってしまった。20090708211044

そういうわけで、学食のメニューをあらかた試してしまうと、私のお決まりメニューはサリャンカかボルシチ、肉団子のトマト煮込みか米のサラダ、これにそばの実カユを組見合わせるというパターンになっていった。

ときどき「クリナリヤ」(いわゆるデリカテッセン。できあいおかずを売る店)に寄るのも楽しみの一つだった。ここでは主にロールキャベツやカツレツを買っていたが、あるときたまたま買ったビーツのカツレツにはまってしまい、以後モスクワ大学地下のクリナリヤ=ビーツのカツレツという条件反射が。よれよれのビニールにいれてくれるので、たいていタッパー持参で買っていた。たまに自作もしてみるが、あの店の味はどうも再現できない。

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16.07.09

宣伝とパロディ

Cheese01プーシキンをはじめ世界の偉人(ガンジー像やホーチミン像など)やトゥーランドット姫、動物(犬や猫)など、いろいろな銅像にめぐりあえるモスクワだが、こんな像も珍しい。

あるチーズ会社の宣伝を兼ねたもの。キツネとカラス(?)がよりそって、チーズをアピール。商品だけがカラーでリアルに表現されている。

よくパロディになるのはモスフィルムの男女二人の銅像。「自由の女神」像がもつたいまつと本が別のものになるだけで、まったく違う意味を呈する。それと同じように、モスフィルムの男女が持つ鎌と槌を別のものに取り替えるだけで、立派なパロディ銅像になる(あるいは、あのポーズさえもパロディになってしまう)。宣伝にパロディを使うのは常套なので、この銅像もひょっとして何かのパロディかもしれない。

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13.07.09

ありし日のメロディア・レコード

ソ連時代、レコード会社といえば「メロディア(Мелодия)」。それはレーベル名でもあって、クラシックからポップス、ペレストロイカ時代はロックまで幅広いジャンルを手がける音楽ソフト製作会社の独占企業であった。

販売店舗としてのメロディアはノーヴィ・アルバートのど真ん中。隣はモスクワでもっとも有名な本屋「ドム・クニーギ」、向かい側は女性向けアパレルデパートの「ヴェスナー」、その隣は高級マーケットを備えた「ブリタンスキー・ドム」という、アッパークラスご用達の場所に目立つ看板と共に建っていた(1999年当時)。
当時は店員と対面式に品物を要求し、別の場所のレジで支払う「カッサ式」の販売。とにかく手にとって眺められないので、あらかじめわかっているものしか買うことができない。
おまけに店員のサービスは最悪。チェーン店の「サユーズ(Союз)」ができてから、店員の愛想がややよくなったが、そのころはすでに一般市民は「ガルブーシカ」(当時はフィリ公園の中にあった)」で音楽ソフトを買うようになっていた。
当然、コピー商品の嵐である。

営業努力の微塵もないまま、メロディアは倒産。その後、長らく建物は空き家となっていたが、2002年ごろチェーン店の宝石ショップが入った。冷やかしに入ってみたことがあるが、とても手ごろな商品とは思えないものばかり。石油バブルの頃は繁盛したかもしれないが、その後どうなったであろうか。

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11.07.09

モスクワ 通り名の楽しみ

Prospict02_2モスクワの通りの名前はおもしろい。特に中心部は、日本の城下町のように、その場所にあった施設や職業集団が由来となったものが多くみられる。
たとえば、地下鉄ルビャンカ駅から北へ伸びるミャースニツカヤ通り(ул.Мясницкая)。肉屋(肉はмяса )があったといわれている。また、イズベスチヤ社やタス通信が近いところには Газетный  переулок(新聞横丁)、 別の露地はХлебный  переулок(パン横丁)など、帝政時代のモスクワを彷彿とさせる。

ロマノフ王朝終焉後は、革命での重要人物や共産党組織にちなんだ名称(レニンスキー大通り、組合〔プロフサユーズナヤ〕通りなど)などがあちこちにつけられた。このうちメインストリートのカリーニン通りなど、マルクス通りなどはソ連崩壊後改称。これは通りだけではなく、地下鉄駅、地区名なども同じ。
しかし中心部から離れると今でもソ連式の名前を持つ通りは多く残っている。

①たとえば、その場所と関係ないのにつけられたもの。
ウクライナ並木通り)、大グルジア通り、アルメニア横町、ミンスク通り、大タタール通りなど。かつてソ連邦を構成していた共和国の名前が郷愁を誘う。

②国内の別の都市名がついたもの。
カムチャッカ通り、マガダン通り、ナラ‐フォメンスク通り(日本の奈良とは無関係)など。

③革命的な要素が残るもの。
マルクス主義者通り(ここの住人はマルクス主義者に限る?)、10月通り(10月革命にちなんで)、労働者通り(この手の職業名称の通りはほかにもある)など。

④変わった名称のもの。
動物学通り(文字通り動物園そば)、黄金通り(由来不明)、フェスティバル通り(由来不明)、《真実》通り(実際に真実にはカギカッコがつけれられている)など。Street_names_2

実際にその通りに行って見ると、なるほどと思える命名と、どうして?と思う通りの名があってなかなか興味深い。日本語の語感に似ている「チャソヴァヤ通り」や、日本大使館の建築地候補となりながらも、語感が×で却下された由緒ある通りなど、通りにまつわるエピソードは数え切れない。

また、通りの名前の由来については多くの書籍が出ており、これを読みこなせたら立派なモスクワ郷土史家になれる。

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07.07.09

モスクワのアメリカ人

7月4日はアメリカ独立記念日。ロシアに住むアメリカ人とアメリカの好きなロシア人は、これをモスクワで祝う。私がモスクワにいたころは、クスコヴォ宮殿でアメリカ独立記念日にちなんだイベントが行われていた。

モスクワに住んでいたアメリカ人たちは、一種独特の生活様式を持った人たちだった。彼らの多くは、一般の外国人駐在家庭と同じくメイドや運転手を雇い、アメリカ式ライフスタイルをロシアに持ち込んでいる。米国市民権を利用して、在ロシア米国大使館内にあるプールに通ったり(日本人でもアメリカ市民権がある人は利用可能)、スパソハウスという名前の米国迎賓館でパーティを楽しむ。要するに、アメリカはモスクワの中でも際立った治外法権域を自国民に提供していた。長期の休みにはロシアを脱出。

そういうアメリカ人に対して、ロシア人の感情はかなり複雑。アメリカ大使館の前には、いつもビザ申請の長蛇の列ができ、911事件や著名なアメリカ人が死ねば大使館の前は花束の山、イラクを攻撃したときは抗議の卵が飛んだ。ソ連時代は反発しながらも憧れのアメリカだったのが、冷戦終結後はロシアが一方的に劣等感を持つようになり、ロシア人がアメリカ人に対して卑屈になったのはいうまでもない。

しかし、7月4日の独立記念日がめぐってくるごとに、ロシア人はアメリカの歴史の薄さを見ながら、多少なりとも優越感をもっているのではないかと思う。クスコヴォ宮殿で一緒にイベントを楽しむロシア人たちには、そういう余裕が感じられた。

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05.07.09

値段の変遷

部屋を整理していたら、ロシアのレシートが出てきた。市場ではほとんど発行しないが、主なキオスクやマーケットでは必ずレシートをくれる。もし市場などで領収証が必要なときは、「クヴィタンツィアをくれ」というと、日本でも使われているような罫線の入った領収証をくれる。

ところで、モスクワでは家計簿ではなく「小遣い帳」しかつけていなかったので、きちんとした家計状況は不明。おまけにドル=ルーブルレートによって、「収入」が変わるのできちんとした収支が計算できない。というのは言い訳だが、99年まで黒パン1個が2ルーブルで買えていたのが、2002年からは5ルーブルになっていて驚いた。日本における卵やコメと同じく、ロシアでは黒パンが家計における経済指標なので、パンが値上がりしたというとインフレの象徴のようにに思われる。

たしかに以前は100ルーブルもあれば市場で必要な物資は調達できた。品質や包装に文句を言わなければ、の話だ。2005年の帰国前では、市場でさえも500ルーブルがあっという間に消え、ショッピングセンターに行けば1000ルーブルでも足りないことがあった。こうなると現金ではなくクレジットカードの出番となる。外資系のマーケットは早い段階からクレジットカードが使えたので、現金が不足気味になると外資系スーパーに行くことになった。

オイル景気に湧いたモスクワの生活は、98年当時から想像もできないほど変わった。これからも乱高下しながら変化し続けるのだろうが、一般市民の苦労が終わることはないような気がする。

 

Cheque

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