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ноября 2009

21.11.09

野良犬一家

群れをなして行動するモスクワの野良犬たち。遠くから見ている分はよいが、近くに来られると少し緊張する。概しておとなしいが、たまに吠えたり噛み付いてくる犬もいるので要注意だ。知り合いの何人かは野良犬に一方的に噛まれたことがあり、狂犬病ワクチンを受けに病院通いするハメになった。飼い犬で首輪をしていない犬もいてまぎらわしい。

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17.11.09

物乞いの人たち

吹雪の中を座り込んで物乞いする老婆を何度も見た。ビニールの買い物袋を敷き、目の前に聖母などを描いたイコンを置き、通り過ぎる人たちに向かって何度もひれ伏している。無言のこともあれば何かしゃべっているときもある。イコンの隣には箱や小皿があり、カペイカばかりの硬貨が入っている。ルーブル硬貨が入っていることはほとんどない。

ただでさえ歩いていないと凍えそうなのに、どうして物乞いの老婆は座り続けていられるのだろう。そのことをロシア人に聞いても、「さあ?」と気のない返事しか返ってこなかった。

物乞いの種類は多種多様だ。
赤子を抱いた「擬似母子」。子どもは「貸与」されたもので、泣きもぐずりもしないのはクスリで眠らされているからだという。足や腕を切断している男性も物乞いに多い。私のアパート至近の地下道では、いつも同じ物乞いの人が「出勤」していて、顔を覚えられてしまった。老男女のペアが賛美歌のような歌を声を張り上げて唄っていたり、ムシロのようなものに座り込んでいるだけの物乞いや、犬にやるエサを恵んでほしいと訴える人などなど。「ドーブリェ・リュージ、パマギーチェ」で始まる決まり文句は、「右や左の旦那様・・・」に当たるだろうか。通りすがりの人(中年以上の女性が多い)は、しばしば小銭をめぐんでいる。施しを受けた物乞いは、小銭を入れてくれた人に向かって、十字を切ったり深々とお辞儀をする。
一方、車の窓を強制的に拭いて金をせびるストリートチルドレンは、積極的物乞いといえよう。

「擬似親子」の例にあるとおり、モスクワの物乞いは裏社会でかなり「組織」されている。これ自体別に驚くことはない。なぜなら、中国などでも物乞いしていた両足切断の男性が、「メルセデス」の送迎を受けていたりするからだ。問題は、社会の底に転落した人が、どのように「組織されていくか」である。一度組み込まれたら、おそらく抜け出すことは難しいだろう。人間を食い物にする恐るべきビジネスだ。それとも、物乞いをしている本人は、すでに苦役と感じる感覚が麻痺しているのだろうか。

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16.11.09

晩秋の風景

11月はモスクワが一番暗くて寒くて憂鬱な月。日の出は8時過ぎ、日没は16時、日照時間は8時間くらいしかない。これも12月に向かってますます短くなる。クリスマスの電飾はまだ点らない。石油景気に湧いていたころは、これでもかというくらい電飾(5年前はLEDなど一般的ではなく、豆電球を使っていた。よって橙色の電飾)がつけられていたが、今年は経済状態がよくないから控えめかもしれない。

気の早いところでは、クリスマスの電飾を窓や木に取り付ける。やららにチラチラと切り替わりの速い安っぽい電飾が窓を飾りだすと、モスクワの冬だなあ、という気分になってくる。アパートに張り付いた無数のガラス窓がオレンジ色に輝く季節。暗くて寒いのはたしかに憂鬱なのだが、「あの窓の住人はどんな人だろうか」「電飾の向こうにはどんな家族が暮らしているのだろうか」と、想像しながら散歩するのはけっこう楽しい。

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15.11.09

ロシアのミニカー

知り合いのロシア人にもらったものである。どことなくロシア(くれた本人がこれを使って遊んでいたのはソ連時代)にもミニカーがあったんだなと、なんとなく感慨深い。

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09.11.09

ドイツから来た「N」女史の思い出

ベルリンの壁崩壊から20年。ドイツ人に対するロシア人の感情はさまざまだが、どう見ても独ソ戦を行ったと思えないほど、どちらかというと親近感がある。

ところで、インターナショナル・ウーマンズ・クラブでロシア語サークルにも入っていた私は、そこでNさんというドイツ人と知り合った。何度か彼女の自宅がサークル会場になったが、夫がドイツ大使館勤務だったため、モスフィルム通りに面した職員アパートの(日本風でいえばマンションか)、広く落ち着いた部屋に住んでいた。
彼女はロシア語もかなりうまく、サークルの中では上級レベルだった。

ある冬の日、私はサークルの開催日を間違えて彼女の家に行ってしまった。突然来訪した私にびっくりしながらも、「お茶でも飲んでいきなさい」と言って部屋に入れてくれた。そこでNさんと普段はできない話をいくつかしたのだが、彼女は実はチェコ人だった。

ティーンエイジャーの頃、プラハの春が起こり、そのときソ連軍が介入してきた。ロシア語が強要され、ソ連は大嫌いだと思いながら暮らしてきたという。結婚した相手はドイツ人だったので、ヨーロッパを何カ国か回ったが、まさかロシアに配属されるとは思わなかったそうだ。ベルリンの壁もかつてのソ連もなくなったが、わだかまりがなくなったわけではない。Nさんは複雑な思いでモスクワに来たそうだが、子どものころ習わされたロシア語が甦るにつれ、ロシアに対する興味が出てきたのだと語っていた。

サークルのとき、私はNさんによい感情を持っていなかった。というのは、どうもアジア人に対する蔑視みたいなものを感じていたからだ。しかしこのとき以来、彼女に対する見方を変えた。ドイツにもソ連にも翻弄されてきたチェコスロヴァキア。そこに生まれたNさんが、ドイツ人と結婚してロシアに住んでいるということに、不屈の精神を感じたからだ。

残念なことに、そのサークルは帰国者が増えて空中分解してしまった。

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07.11.09

モスクワの家具屋

モスクワでの住まいは、前任者のお譲り家具があったため、新しく家具を購入することはほとんどなかった。ソ連時代のアパートは、同じような家具が作り付けられていたし、たとえ家具や気の利いたインテリア雑貨を買おうと思っても、商品が極端に少なく、高かった。フリーペーパーには家具屋の広告が出ていたが(単に”Мебель”とだけあって、店名は不明)、家具広告より幅を利かせていたのが「窓」や「台所」の広告。つまり、古い窓をサッシにしたり(ソ連時代の窓は木枠で隙間がある)、台所をヨーロピアンスタイルに変える需要の方が多かったのだ。

ほどなくレニングラーツキー・プロスペクトに「グラント(だったか)」という総合家具屋がオープン。また、モジャイスコエ・ショッセに「トゥリ・キタ(3頭の鯨の意)」という店ができ、高いながらもインテリア家具を買うことができるようになった。ただし、これらの家具が扱うデザインは、どことなく野暮ったくゴテゴテとしている。

これに価格破壊とデザインのよさで衝撃を与えたのが、スゥエーデンの「イケア」。2000年にモスクワ郊外のヒムキにオープン。無料送迎バスも新鮮だった。その後イケアは2店舗新たにでき、そのうちギガマーケット「アシャン」と同じ敷地にできたイケアは、週末になると家族連れが大挙して来て大渋滞が引き起こされるようになった。

ポップで楽しい色調とシンプルな材質。なにより安く買いやすい。もともとロシア人は、「都市部の自宅」と「ダーチャ用」の2世帯分家具が必要だから、イケア家具の値ごろ感はたちまち大人気となった。ちなみにモスクワのイケア店内でもらえる鉛筆と紙製巻尺は世界共通仕様。前述の「トゥリ・キタ」は中国からのグレー輸入で問題となった。

http://www.3kita.ru/

http://www.ikea.com/ru/

Ikea_pencil

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03.11.09

民族統一の日

11月4日は「民族統一の日(День Народного единства)」である。私がモスクワにいる間、この祝日はまだ始まっていなかった。2004年に採択されて以来、これまで祝日とされていたロシア革命記念日(11月7日)は平日となってしまった。

それにしても、どういう由来で決められたのかはっきりしない。ロシアの祝日解説によれば、「1612年にモスクワがポーランドの支配から自由になった日」とのことだが、それが革命が起こった日より重要なのか、外国人の私としてはよく理解できない。

いずれにしても、在外公館が警告メールを発してくるように、この日は極右をはじめ熱烈愛国主義者があちこちでデモや集会を行う要注意の日となったようだ。

ロシア、とくにモスクワなど大都市での外国人排斥運動はかなり深刻な問題。当局がそれを公認してしまっている以上、自衛でやりすごすしかない。

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01.11.09

モスクワのエスカレーター

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エスカレーターで、関東は左に立ち右側は追い越し用、関西では右に立ち左側を追い越し用としているようだが、これに基づけばモスクワのエスカレーターは関西方式が採用されている。

地下鉄のエスカレーターは、長くて傾斜があってしかも速度が速い。慣れるまでは、エスカレーターに乗るのもタイミングが合わずに苦労する。ましてや、これを駆け下りたり駆け上ったりするのは安全上勧められない。しかし私も最後は慣れて、よく「駆け下りて」いた部類なのであまりえらそうなことは言えない。

エスカレーターはたまに停止する。上りに乗っているときは影響はそれほど大きくないが、下りに乗っている場合、運が悪ければひっくり返る。エスカレーターの運用は、エスカレーターの始点に座っているおばさんの手中にゆだねられている。おばさん(地下鉄職員)は、常に人々がおとなしくエスカレーターを利用してるか、無法者がいないかどうか監視している。ときどき、コインを手すりに落として遊んだりする若者をヒステリックに注意する。そうかと思うと、まったくよそを向いている怠慢なおばさんもおり、その周りの空気は「ソ連」そのものだ。

地下鉄のエスカレーターは、定期的にオーバーホールされている。これこそ古いものを長く使うロシアの美点であるが、むき出しになった大きな歯車を見ると、その動力機構のアナログさに関心したりびっくりしたりする。

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