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января 2010

20.01.10

ロシア人にとって信仰とは?

1月19日はロシア正教会の重要な祭事、「公現節」だった。多くの日本人は、この日ロシア人が海水パンツ1枚の姿で氷水に入る写真を目にしていることだろう。

この日はイエス・キリストが洗者聖ヨハネから洗礼を受けた日であるとされる。聖なる水で「聖別」されるというわけだ。「禊」の感覚がある日本人には、「穢れをおとす」水の儀式に違和感を覚えるわけではないが、この寒い時期にわざわざ氷水に入りに行く人を見ると、滝つぼに打たれにいく修行の人たちを思い起こす。

私の周囲のロシア人たちで「無神論」を唱える人は少なく、皆いちおう「ロシア正教徒」と自称していた。しかしいわゆる「西欧のキリスト教徒」のように、日常的に聖書を読んだり教会に通ったりしている人はあまりいなかった。「正教徒」と自称しているわりには、洗礼を受けたと言った人はわずかに一人で、それも教会が当局に弾圧されていた頃、病弱だった自分を心配して母親がこっそり洗礼を受けさせたというエピソードの持ち主だった。

ロシア人にとって信仰とは何かと考えるとき、部分的には無神論的な感覚と、オカルトのような神秘主義を信じる感情がモザイクのように織り交ざっていて、神学的に純粋な信仰とは言えないような感じである。しかし、当局とロシア正教会の距離は日々縮まっており、ロシア人の信仰もナショナリズムと表裏一体をなして以前より強固になってきているのは確かだ。

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冬の気温差

モスクワでは1月から2月にかけて、連日マイナス10度以下の気温が続く。年によって最低気温がマイナス30-40度を記録することもある。しかし、室内は(よほどの低気温か、何かのトラブルで集中暖房が切れなければ)常にプラス20度以上。住人が暖房を調整できないので、時として汗ばむほどの高気温となる。その気温差、おおむね40度。

戸外に行くときは、寒気を遮断する厚いコートに帽子・マフラー・手袋の3点セットが欠かせない。もちろん靴も内側が毛ばりの厚底のものが必要。室内の軽装から戸外の重装備への着替えを繰り返すだけでもけっこうたいへんである。

逆もまたしかり。室内に入るのであればコートなどを脱げばよいが、地下鉄ではそうもいかない。地表からかなり深いところを走っているモスクワ地下鉄は、夏涼しく冬暖かい。昨今はラッシュ時の込み具合が日本以上にひどいので、冬の地下鉄車両は夏のように暑い。戸外の寒さを気にして着膨れていると、地下鉄で大汗をかくはめになる。地上に出れば、また零下の気温。

モスクワの人たちは、もともと暑いのが苦手であるから、着膨れしていない。ダウンコートの下はTシャツ、などということもザラだ。それはそれでかっこいいと思うのだが、マイナス10度以下の気温が連続するような土地に育っていない私には、逆立ちしてもできそうにない。

そういうわけで、このような気温差の大きい環境にいると、着るものもしだいに実用本位となり、登山用の衣料などを愛用するようになる。

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蛇足:地下鉄フィリ線は、大部分を地上走行している。したがって、ほかの地下鉄路線に比べて寒い(夏は暑い)。

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18.01.10

オレンジ革命の頃

ウクライナの大統領選挙は、とうとうヤヌコビッチとティモシェンコの決選投票となった。

オレンジ革命の立役者だったティモシェンコは、結局ユーシェンコと袂を分かつことによって、最高権力の一歩手前というわけで、立ち回りが本当にうまい女性である。

5年前のオレンジ革命の頃、モスクワでも毎日キエフの様子が報じられた。非暴力を是とする民主革命に対し、ロシア側は複雑な心境だった。グルジアのバラ革命のときと同様に、ロシア政府はウクライナを連日非難。ロシアに出稼ぎに来ているウクライナ人も、祖国の事態には複雑な思いだったと思う。

かくゆう在モスクワ日本人の間では、ロシアとウクライナの軋轢より、オレンジ革命グッズを入手することが流行するなど、まったくの他人事。オレンジ革命のお祭り気分の方を重視していた。

ユーシェンコが勝利して、ほどなく日本人に対するビザ取得の義務が解消。プーチンの強硬路線がいろいろやっかいな状況をもたらしていたので、「やっぱりロシアはダメだ、ウクライナに乗り換えよう」という雰囲気が蔓延した。

あれから5年。結局ウクライナは経済的にも政治的にも自立できずに揺れ戻っているが、この二人の候補に国の命運をかけなくてはならないとは、本当に大博打だ。

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13.01.10

ダラガミーロフ市場の思い出

私が通っていたダラガミーロフスキー・ルィーノックでは、生鮮食料品が建物の中、その他加工食品や個人経営の生鮮食料品がコンテナ売り場となっていた。何度も来ると、だいたい「ひいきの店」ができてくる。同様に、通ってくるお客には快く接してくれるものだ。

その中でも、いつもなぜか白衣を着て野菜を売っている売り子のおじさんは、私を見ると「あなただけ安くする」攻撃をかけてきて、必要以上のものを買うハメになっていた。そのおじさんは助手のような若い男の子をいつも伴っていた。カザフスタンから来たという。そして私を見て、カザフスタンに来ないかという。いつもそういうことをしゃべりだしたら、「じゃあ、またね~」と言って次の売り場へ行くのが常であった。

こうして市場を周回し、最後に出口辺りで売っている焼きたてのレペシュキ(ウズベキスタンのナン)を買うか、シャウルマを買って帰るのがいつものコース。スーパーマーケットと違い、会話の練習もできる一石二鳥な場所が市場だった。

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10.01.10

モスクワ動物園のトラとの対話

Zoo5 Zoo6私が「トラ」にはまったのは、モスクワでアムールトラを見てからだ。

モスクワ動物園は、収容されている動物たちにとって決してよい環境とはいえない。「動物を見世物のように扱う動物園」のような、一昔前の設備だからである。ましてや日本の動物園のように、事細かな情報を提示しているわけでもなく、えさやりの公開や見せ方に工夫をしているわけでもない。それにもかかわらず、モスクワ動物園の動物たちは、けっこう私たちを楽しませてくれるのだ。まるで動物園に勤務する、ワニのゲーナのように。

私がモスクワ動物園に通った日すべて、アムールトラは外に出ていた。その中でも忘れられないのが動画でも紹介している水で遊ぶ情景。それから夏の昼下がりにのんびり寝そべっている姿。ネコのように顔を洗うしぐさなど。ロシア人の親子はやはり見世物を見に来る感覚だが、中には動物たちと対話するようにじっくり観察していく人もいた。

残念なのは、モスクワ動物園のトラたちが、なんという名前をもらって人間社会で暮らしているのか知る機会がなかったことだ。

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03.01.10

ロシアの宴会(ホームパーティ)~中国の宴会との比較

それほど多くの機会があったわけではないが、モスクワで招待された家庭での宴会と中国人とのホームパーティを文化比較してみた。

中国では正式な宴会の場合、ホームパーティであってもけっこう格式ばった招待状が届く。気兼ねのない宴会の場合は、電話や人づてで宴会があることを告げられる。客はそれほど着飾らず出かけるし、まったく関係ない人も連れて行くことができる。

ロシアでは事前に郵便で招待状が届くことはほとんどない(郵便事情を反映してか)。客は身だしなみに気を遣い、けっこう着飾って出かける。

どちらも贈り物を用意する。相手が気に入るかどうかより、見た目豪華なものがよい。 Nygift09 Nygift10
高価な実用的なものより、安くても見栄えのするものの方が勝ち。花束など、ロシアでは偶数は避ける。

酒の飲み方は、どちらも強い酒を一気飲みしたがる。特に中国では「乾杯」といったら飲み干さなければならないので要注意。ロシアでは飲む前に気の利いたスピーチ(長話?)をさせられる。どちらも飲めば飲むだけ相手から信頼を勝ち取ることができるが、酔っ払うことは見苦しいとされるので、飲めない人は最初からそう言った方が得策。

中国では酒の肴は「食事」だが、ロシアでは酒の肴が「甘いもの」ということもありうる。ウォッカのつまみがチョコレートだったというのもよくある話。

ロシアでは宴会がたけなわとなれば歌ったり踊ったりする。若い人がメインのパーティなら、まちがいなくディスコ化する。中国ではカラオケか。

ロシアでは分煙が進んでいるので、一服しに階段やベランダに抜けていく。酔い覚ましもそこでやることが多い。宴会場でできない内輪話で盛り上がることもある。中国では酒を飲みながらタバコも吸うのが一般的なので、タバコが苦手な人にとって宴会場は地獄と化す。

ホームパーティでの主役は男性。ロシアも中国も、家庭の主婦はどちらかというと台所に留まる。もちろん、女性が主役の宴会もあるが。
宴会は、民族性や文化の違いがよく観察できる大人の社交場である。場数を踏めばもっといろいろ違いがわかると思うが、今のところはこれくらいが限界である。

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