« февраля 2010 | Main | апреля 2010 »

марта 2010

29.03.10

2つの地下鉄駅での爆弾テロ

モスクワでまたしてもテロが発生した。
今回は走行中の車両ではなかったが、通勤時間帯ということでもっと大きな被害が出てもおかしくなかった。

ルビャンカ駅は元KGB(現FSB)ビルの最寄駅。2000年に爆発が起こったプーシキンスカヤ駅の地下道もそうだったが、ターゲットはモスクワのど真ん中だ。
もうひとつの事件現場、パーク・クリトゥーリ(文化公園)駅も、環状線と放射状路線の交わるターミナル駅で、ルビャンカからユーゴザーパド駅に向かう路線の乗り換え地点でもある。当然利用客が多く、この駅を通勤ラッシュ中に狙ったというのは無差別テロのきわみといえるだろう。

爆弾テロはいつおこるかわからない。以前は大きな荷物を持った人、酔っ払った人、着膨れた人が疑われたこともあったが(私も着膨れいていたので、よく警察から呼び止められた)、犯人とされる彼女らは本当に「シャヒド・ベルト」をはめていたのか。

以前は、チェチェンに向かう列車が発車するパヴェレツ駅を通る地下鉄路線に事件が頻発という「都市伝説」があり、夫をロシア兵に殺害された未亡人が「黒い花嫁」となって、報復テロに来るという話を多く聞かされた。今回もイスラム過激派の犯行というが、迅速に犯人のモニター写真が出てくるのだろうか。

|

23.03.10

イズマイロフ公園で保護された山猫

|

15.03.10

グム百貨店

Fh010006_2

日本では百貨店の閉店が相次いでいる。高級品が売れなくなったとか、デフレで商品価格を下げられない百貨店の競争力がなくなったなど、いろいろ原因はあるだろう。しかし、それ以前にデパートでのテナントが増えすぎていることが気になった。どこのデパートにも、同じブランドのテナントが入っている。

ロシアも同じような傾向だ。モスクワの代表的デパート「グム百貨店」は、ソ連時代においてはいわゆるテナントというものはなく、すべてが文字通りの「デパート(部門)」小売だった。もちろん、全部国営である。カッサ方式では、商品を見るのも買うのも一苦労なので、結局「眺めるだけ」で終わる。店内のアイスクリーム「スタカンチク」をなめながら「ウィンドーショッピング」というのが、グム百貨店での標準的な過ごし方であった。

さて、ロシアになってからのグム百貨店は、高級ブランドのテナントが次々と入った。高価な商品にロシア人が群がる。免税店で買えばいいものを、と思いながら、今のロシア人には高級なものを買うことへの敷居が低くなったのだなあ、と実感する。

庶民的なデパートといわれていた「ツム百貨店」も高級テナントがたくさん入って、ロシアっぽい商品を扱う部門が駆逐されてしまった。デパートはお国柄が表れる商業施設なので、世界的にフラット化してしまうとつまらない場所である。

(写真はソ連崩壊前のグム百貨店)

Fh010013_3

|

14.03.10

日本食のクーリエサービス

モスクワの日本食材店「ジャプロ」は高い。わざわざ行くのはめんどうくさい。そういう在モスクワ日本人のために、かつて「グリーンライン」という日本食クーリエサービスがあった。

月1度程度、同じエリアの日本人駐在員家庭などが注文を取り合う「生協」みたいなシステム。日本の食材をはじめ、日本の雑誌なども頼める。支払いは米ドル。割高感は否めないが、EMSでさえ税関で留め置かれるロシアにおいて、非常に助かるサービスだった。

ところが、ある日、「グリーンライン」がなくなったと聞かされた。詳しい事情はよくわからないが、どうやら経営状態が悪かったらしい。グリーンラインとして赴任していた一家は夜逃げのようにしてモスクワを去ったという話を聞いた。現在も真相は不明。いずれにしても、それから日本食を入手するには「ジャプロ」か「ヤキトリヤ 販売部」に行くことを余儀なくされた。

|

12.03.10

台所の使い勝手

最初に住んだアパートの台所で、一番困ったのがシンクの小ささだった。どうやっても鍋ひとつ洗うにも苦労する。縦横深さ30センチ程度の洗面所にしか思えないタイル製のシンク。しかも、水切りはシンク上にあり、背の低い日本人にとってそんなところに皿を載せるなど危険極まりないことだった。水切りはストックマンの高価なものを買って急場をしのいだが、台所の使い勝手はよくならない。

台所は、シンク→コンロ(天火つき)→作業台となっており、同考えても動線どおりではない。しかも作業台の下半分はドラム式洗濯機。台所で洗濯もしなくてはならないなんて、なかなか受け入れられるものではない。

そうこうしているうちに、近所の別のアパートに引っ越した。そこは「ヨーロピアン・イノベーション」、いわゆるリフォームしてある部屋だったので、台所のつくりは日本のものと変わらない感じだった。しかしオーブンは長年使わなかったらしく、焦げがこびりついて火がつかない。おまけにシンクも木の部分が腐っていてグラグラしていた。これを修理するとかなりの額になるという。冷蔵庫も買いなおさなければならなかったので、そちらを優先して台所の修理は後回しとなった。

ロシアでは台所が家族のたまり場。日本でいうならコタツのある「茶の間」と同じである。おしゃべりしながら、ジャガイモの皮をむいたりマメの鞘を取ったり手作業をする。包丁やまな板も貧弱だ。調理のプロセスもおしゃべりの肴みたいなものだ。だからあまり使い勝手など考えないのかもしれない。

Img_1249

|

10.03.10

モスクワで知り合った韓国人

キョンソンとランは、IWC(インターナショナル・ウーマンズ・クラブ)を通じて知り合った唯一韓国人の友人。IWCの英語のクラブに通っていた。授業では一生懸命英語をしゃべっているが、3人がプライベートで会うときはたちまちロシア語になる。たまに私が聞きかじった韓国語をしゃべっては、二人がゲラゲラ笑うという感じだった。「ネオナチが出ると危ないから」と、彼女らは車の送迎を融通しあっていて、私もよく乗せてもらった。

ご主人はサムスンと関連会社勤務。ランには妹に見まごうほどの年齢の女の子が1人、キョンソンがたしか男の子と女の子2人の子どもがいた。2人ともロシア暮らしは長く、特にキョンソンはモスクワに来る前にカザフスタンなどに駐在。休日はモスクワ郊外でゴルフを楽しんだり、スキーに行ったりするなど、日本人駐在員家族よりも優雅な生活を送っていた。

ランの家はモスクワ川の対岸だったので、2度くらい遊びに行った。食後はカラオケやボーリング。子どもの教育に熱心な反面、娯楽も熱を入れる。朝鮮人参ドリンクを飲んで働く韓国人を思い描いていた私には拍子抜けするくらいのびのびした暮らしを楽しんでいたようだ。

ほどなくランが英語のクラスを抜け、キョンソンもやめてしまった。しばらくキョンソンがキムチをくれるなどしてくれたが、連絡もとれなくなった。後で知ったのだが、サムソンの社員は駐在地で現地の生活をエンジョイするのが方針だとか。めいっぱいがんばっていない彼らの伸びしろは、日本人の何倍も大きいと感じた。

Ran_kyonsoonimg_0128


|

08.03.10

国際婦人デーの花と菓子

Img_1250今年も国際婦人デーがやってきた。
この日ばかりは威張っている男性陣が、「一日フェミニスト」を決め込む日であり、女性の方もそれを黙認・半ば期待している。

しかしいくら義理で贈り物をするにしても、真剣に花や菓子を選んでいるおじさんたちの姿を見ると、日本人男性にはない素朴さがあってかわいらしい。もっとも、ロシア人男性が花を買い求める姿はそれほど珍しいものではない。
もっと本格的な贈り物には、香水とか服などがある。もちろん、これらは「義理プレゼント」ではない。

モスクワでは「日本では国際婦人デーを祝わないんだってね」と何度も言われた。そのたびに「かわりにひな祭りがある」と答えてきた。しかし「実際は嫁入り前の女の子の祭り」と付け加えると、「既婚女性には何もないの? かわいそうだね」との反応。今でもゲイシャのイメージが残っているわけだから、女性は控えめでおとなしいと思っているのだろう。ステレオタイプとは恐ろしいものだ。

|

02.03.10

ロシア人の頭の体操

新聞や雑誌に載っている頭の体操の数々。なぞなぞ、数独、各種パズルといろいろある。ロシアの場合、圧倒的に多いのはクロスワードパズル(кроссворд)。ほとんどの新聞や軽い雑誌には載っている。もちろんクロスワード専門誌もあり、キオスクなどでバックナンバーが入手できる。

ロシア語の場合、日本語のような漢字クロスワードや読みがなだけのものと違い、あくまでもロシア語のアルファベットを並べた綴りものだけ。したがって、ロシア語の辞書で丹念に調べれば解けるのではと思い何度か挑戦してみたが、ちょっとやそっとでは解読できない。なにしろ、ロシア語の単語は長い。ヒントとなる文字も少ない。

地下鉄に乗ると、熱心にクロスワードを解いている人をよく見かける。解けたからといって、特に何かをもらえたり、応募するのではない。ひたすら、純粋に解いているのだから恐れ入る。

あるときたまたま買った雑誌にすごいクロスワードが載っていた。「日本のクロスワード」。つまり、日本に関する言葉だけを集めたクロスワードパズル。これなら解けるだろうとやってみたが、日本語ばかりではなく、日本を形容するロシア語も多く入っていて結局挫折した。

|

« февраля 2010 | Main | апреля 2010 »