февраля 2011
27.02.11
18.02.11
14.02.11
EMSでもこのとおり
ロシアでの郵便事情については、これまでたびたび書いてきた。今回は受け取る側の様子を説明したい。
写真は昨年12月初旬に、モスクワの知人に向けて贈ったプレゼント。中身は菓子類がメインだが、DVDなども入れていたのでEMSを利用した。到着したのは1月12日前後。途中で年末年始、ロシアのクリスマスが挟まっているとはいえ、EMSで1ヶ月もかかったことになる。
EMSはアイテム番号がわかっているので、現在地を追跡できる。この贈り物のあて先は、モスクワ郊外の住所なので、郊外の関税手続き所でなんと2週間もほったらかしにされていた。日本からロシア入りの早さに比べ、ロシア国内ではまさに「カタツムリ」的なスピードである。もし年末年始の休みがなくても、2週間近くかかるのはやむをえない。
もっとも腹立たしいのは、記念切手の強奪である。このEMSもお年玉抽選がついている兎年切手を貼っていた。しかしすでにもとのままの様子ではなく、ぼろぼろになっている。今回のことろは、長く放置されたことによるものと思われる。
日本の郵便事情も最善であるとは言いがたいが、少なくともいつも書きとめにしなくても先方にちゃんと届く、という状況は堅持されている。だからといって100%安心できるものでもないのだが。
04.02.11
モスクワで出会った中国人
モスクワに滞在している間、何人かの中国人と出会った。いずれも中国大陸から来た人たちだったが、いわゆる出稼ぎの中国人とは異なり、余裕ある異国での生活を満喫していた。
最初に知り合ったのは、「北京青年報」の若い記者とその妻。ちょうど私のアパートの向かい側の外国人用アパートに住んでいた。奥さんはロシア語ができなかった。ご主人は驚くほど早口でロシア語をあやつっていた。子犬を飼っていたが、 子どもができたというので、その犬をどこか別の家にあげてしまった。
同じころ、知り合いを通じて知り合ったのが、これまた「北京晩報」の記者とその妻。お宅に遊びに行った時、地下鉄アカデミーチェスカヤ駅から雪の中を延々歩いてたどりついたことを覚えている。二人ともロシア語ができるようだったが、私との会話は中国語だった。
「東洋美術館」で知り合った中国人男性。彼はムルンバ民族友好大学の留学生だった。プライベートなことはほとんど話さず、もっぱら東洋美術館での鑑賞友だち。
日本人と結婚していた中国人2人。2人とも日本語はできるが、3人で会うと中国語になった。うち1人はすでに帰化済みで名前も日本名を持っていた。もう片方の中国人は、ご主人の悪口をかなり言っていたが、妊娠すると中国へ帰って出産した。
私がいたころのモスクワは、まだビジネスマンがそれほど台頭しておらず、余裕ある生活をしているのはもっぱら政府関係者かジャーナリストくらいだった。おそらく今は状況が一変しているだろう。ロシア国内でも中国の比重は日に日に増している。対中国民感情はよくないが、中国抜きに経済が成り立たないロシアの状況は日本と同じ。どちらが飲み込むか飲み込まれるか、水面下の競争はきっと熾烈なものかもしれない。
03.02.11
アパートのバスルーム
ロシア人の家庭では、意外とユニットバスが少なかったので、驚いた。アパートの部屋はそれほど広くなくても、バス+洗面台とトイレは別々だ。たいてい浅くて長細いバスタブに洗面台があり、シャワーカーテンはあったりなかったり、壁のすみにシャンプーや歯磨き粉などがごちゃごちゃとおかれているのが一般的だ。洗濯機のない家庭では、このバスタブと洗面台にタライを置き、手で洗濯する。トイレなどがあっては、邪魔なだけであろう。
こうした室内設計もあって、家賃の高い大都会で発達したのがコムナリナヤ・コームナタ(ルームシェアとでもいうべきか。大家と同居の場合もある)。ひとつの部屋を2世帯以上で使い、台所やトイレなどは共有だ。これだと確かにトイレと風呂が分かれていないと使いにくい。
ボロアパートで悪名高かったフルシチョフカもこういう用途を考えたのかどうか不明だが…。
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