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марта 2011

28.03.11

モスクワ地下鉄テロと携帯電話の進化

地震と津波と原発事故のニュースに釘付けの毎日の中、モスクワ地下鉄でのテロから1年が過ぎた。2012年春の大統領選に一石を投じたといわれるこの事件。今年起こった空港テロで、ロシアでは再びテロが日常と化した様相だ。

私がモスクワにいた頃も、テロが日常化していた。しかし、今と決定的に違うことが一つある。それは携帯電話の進化だ。

地下鉄パヴェレツカヤでの自爆テロのとき、私たちが使っていた携帯電話はまだ写メールもできなかった。携帯電話は通話がメインだったので、もっぱら安否確認のツール。無残な社内の様子は、テレビや翌日の新聞を見るまでわからなかった。

あれから7年。テロ事件現場にいた人たちは、ジャーナリスト顔負けに果敢にも携帯カメラで動画に収め、YouTubeなどの動画サイトに流す。同じことはドモジェドヴォ空港でも見られた。そのため、報道の時差はあっても日本にいても、ほぼ同日に惨状を見ることができ、事件の詳細を知ることになった。

しかし、惨事を実況で目撃するような日常生活は、どんなに恐ろしいものだろう。起こるかもしれないと思いつつ、いつ起こるかわからないものは恐ろしい。それはテロも自然災害も同じだろうが、少なくともテロは怨恨が残っていくだけに恐怖の増幅は大きい。

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26.03.11

カタストロファという言葉

東北から関東を襲った大地震と大津波、加えて原発の事故はロシア人にも大きなショックを与えた。お見舞いのメールや電話をもらったが、皆おしなべてКатастрофа(カタストロファ)と言っていた。

翻訳すると「大惨事」。たとえば、テロが起きて多くの死者が出るような事件もたくさんの車が玉突き衝突してもКатастрофаだ。自然災害と人災による大災害の区別がない。したがって、カタストロファが使われる頻度は非常に多い。

テレビニュースなどを見ていると、単なる事故はавария(アヴァーリヤ)やтравма(トラーヴマ)が使われる。現場が混乱している様子はХаос(ハオス=カオス)と表現されている。

日本語の感覚としても今回の大災害は「崩壊」「壊滅」といった絶望的なニュアンスを表現したКатастрофаが当てはまるように感じた。

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23.03.11

lecture on nuclear power plant in Fukushima, Japan

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