Posts categorized "文化・芸術"

09.08.11

ベルニサージュ劇場(Театр Вернисаж)

Theatre_vernisazh0158  地下鉄ベガバヤ駅から徒歩10分くらいのところに、ヴェルニサージュ劇場がある。古そうな建築物の一角を占め、入り口はギリシア彫刻のような像がたち、古典的な雰囲気がただよう。劇場名もお土産市場ヴェルニサージュと同じ。ところが、かなりこじんまりとした劇場で、客席は50もなかったのを覚えている。

地下鉄駅から地図をたよりに劇場へ向かったが、これといった目印がなく、まったく逆方向に歩くこと約10分。劇場にたどり着くまで30分はかかってしまった。これがトラウマとなって、私は1回しかこの劇場に足を運ばなかったが、地元の人らしき観客がけっこう入っていた。

観た演目はモリエールの「タルチューフ」。当時はデフォルトの影響か、低予算演出なのがよくわかった。

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16.08.10

ヴィクトル・ツォイの20回忌

今年の8月15日で、ロシアの伝説的ロックシンガー、ヴィクトル・ロベルトヴィッチ・ツォイの20回忌を迎えた。例年、アルバート通りの露地にあるヴィクトル・ツォイ追悼落書き壁には、多くの若者が集うが、今年は節目の年とあって、例年以上の集合だったようだ。

私が初めて聞いたグループ「キノー」の曲は「カムチャットカ」だったが、なんだか不思議な曲想で印象深かった。コリアンとのハーフである彼にとって、極東に位置するカムチャッカ半島は何か引き合うものがあったのだろう。て 
「キノー」の曲は、ソ連時代のサムイズダート文化とペレストロイカの間を縫って生まれたものだが、彼が今のロシアに生きていたら何をテーマにしていただろうか。同時代のグループである「マシーナ・ヴレーメニ」、「アクヴァリウム」、「アリサ」などの変容を見るにつけ考える。

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※ コメントで、死去年数の誤りについてご指摘がありましたので、訂正しました。

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05.12.09

小さな博物館

Valenki1 Valenki2 国立博物館・美術館はコレクションも多く、見ごたえ抜群だが、モスクワには小さな博物館・美術館もたくさんあって、こちらも個性豊かで何度でも足を運びたくなる。

日本人の間で有名なのは、レオンチェフスキー横丁にある「マトリョーシカ博物館」だろうか。変わったところでは、盗難品ばかりを展示したプライベート博物館などあるようで、ロシア人のコレクション趣味を発揮するところがオープン。最近は秘密基地のような予約制博物館やらできているようだ。

しかし、どのミニ博物館も表示が驚くほどそっけないので、つい見逃してしまったり見つけきれなかったりすることが多くて残念。

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16.09.09

ロシア文学三傑

読書の秋近し。日本人は活字離れといわれるが、ロシア人はどうか。一般にロシア人は読書好きといわれ、自宅の本棚には分厚い全集が並ぶ。いわゆる「ロシアの名著」と呼ばれる著作物は、かなりの人がかつて読んだことがあると答える。本当に読んだかどうか確かめようがないのだが、おおむね話の筋を知っているところを見ると、信頼するしかない。

また、地下鉄では新聞や本を持っている人がけっこういる。漫画雑誌に相当する軽い印刷物は、おそらくクロスワードパズルの雑誌などだろう。

ところで、日刊紙ヴェドモスチがロシア人の好きな本というニュースを報じた。SuperJobというところが調査をしたらしい。ベストスリーは、ブルガーコフの「巨匠とマルガリータ」(16%)、トルストイの「戦争と平和」(7%)、ドストエフスキーの「罪と罰」(3%)だった。いずれの著書も長編小説。重量感のある内容が好きなロシア人らしい。

で、残りはどんな本が選ばれたのか気になるところ。現在の社会状況を考えると、「巨匠とマルガリータ」が第一位だったというのもうなずける。対抗意識の強いモスクワとペテルブルグでは、選び方に差異があるかもしれないが、ぜひ悪魔一味に再来襲を願って「世直し」してもらいたいと思うのは、万人に共通するところだろう。

http://www.vedomosti.ru/newspaper/article/2009/09/11/213666

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15.05.09

ユーリー・キム(Юлий Ким)

日本ではブラート・オグジャワが圧倒的メジャーで、コリアン系のシンガーソングライターであるユーリー・キムはちょっとマイナーな存在。深刻で重厚なオグジャワより、ユーリー・キムの方が個人的に好きである。

Yuliy_kim ユーリー・キム(Ким Юлий Черсанович)は1935年モスクワ生まれ。母はロシア人のニーナ・フセスヴャスカヤ、父は朝鮮人のキム・チョルサン。幼いころはスターリンの恐怖政治と戦争のため、モスクワ近郊やカルーガなど各地を転々として過ごす。モスクワ教育大学の歴史哲学学部を卒業したあと、カムチャッカなどで教員生活を送る。学生時代から詩作をはじめ、1963年には映画「ニュートン通り 1」で初めて公式に作品を発表。

しかしのちに「反ソ的作品を作った」として、舞台・映画・コンサートなど発表の場を失うが、ユーリー・ミハイロフ、アンドレイ・クズネツォフらの助けを得ながら作品制作を続行。舞台シナリオなどを手がける。ペレストロイカ以降、ようやく作家同盟に加入しブラート・オグジャワ賞などを受ける。90年代以降は健康の問題もあり、ロシアとイスラエルを行き来している。

私がユーリー・キムを知ったのは、歌よりも戯曲の方だった。彼の作品は主にミュージカルで、本人も「ロシア初のミュージカルを作ったのは私だ」としている。ユーモア、皮肉、言葉遊びに富んでいて、哲学の先生らしく奥深い内容である。

http://www.internat18.ru/art/Yuliy_Kim.html

http://apksp.narod.ru/kim.html

Yuly_kim

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09.03.09

ポクロフカ劇場(Театр на Покровке под руководством Сергея Арцибашева)

Pokrovke

日本にも2001年に来日公演を果たしている劇団。そのときは「結婚」「検察官」「三人姉妹」を上演した。きわめてオーソドックスな作品だが、その演出はけっこう奇抜である。スタジオ劇団の本領というべきだろうか。地下鉄クールスカヤとクラスヌィェ・ヴァロータの中間地点、サドーヴァヤ環状道路から程近い小さな劇場が彼らの本拠地である。

 

帰国前に見た最後の演目「女の日記の最後のページ」に出演していたブルダーコフは、「検察官」でフレスタコフのはまり役。上演終了後、観客を出口で見送る出演者の中に彼がいたので、「日本でもあなたを見ましたよ」と声をかけた。するとブルダーコフは「それは光栄なことだ、また日本に呼んでくれる?」と答えた。そういえば、ネコ劇場のククラーチェフも「日本に呼んでよ」と言っていただけあって、こういうのが観客に対するリップサービスか、と思ってしまったのだった。

ちなみに舞台監督で本人も演じるセルゲイ・アルツィバーシェフは


、映画「12人の怒れる男」にも出演していた。映画ではかなり老けた感じになっていたが。

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Ул. Покровка 50

http://www.napokrovke.ru/

http://www.pokrovka.ru

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27.02.09

「スタニラフスキーの家近く」劇場(Около дома Станиславского)

正式名称はタイトルのとおり長たらしい。だが、一般に「オーカラ」(~の傍のという意味)という愛称で親しまれているスタジオ劇場。名前のとおり、はす向かいにスタニラフスキーの家博物館がある。また、チャイコフスキー音楽院やマヤコフスキー劇場も近く、周囲はモスクワの旧市街の印象である。

ところが、この劇場は2003年(だったと思う)に火災になり、私が帰国する前のシーズンは休館となってしまった。もちろん、別の劇場を借りて活動をしていたのだが、私はそこへ足を運ぶヒマがなく帰国になったという次第。

その年は、スタニラフスキー=ダンチェンコ劇場も衣裳部屋の電気系統の発火が原因で火事になるなど、古い建物に入っている劇場には受難の年。どこも古い設備に過重な電流を通しているのだから、火事にならない方が不思議なのかもしれない。

さて、この「オーカラ」だが、いままで観にいった芝居は「桜の園」、ベケットの「ゲームの終わり(Конец игры)」、「私たちは絶対不道徳の環境に住んでいる(Мы живаем абсолютно аморальной атмосфере)」など。観たものはたいてい1時間半程度の一幕ものばかり。座席がゆったりしておらず、あまり暖房が効いていないので、長い演目は敬遠していたのを覚えている。

www.okolo.ru 

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20.12.08

三つの「狂人日記」

ゴーゴリの「狂人日記」は、魯迅の「狂人日記」に影響を与えたとも言われている。たしかに妄想に憑かれていく様は、文豪魯迅に何がしかのインスピレーションを与えたであろう、圧倒的迫力がある。

さて、この作品は多くの劇場で舞台化されている。私がモスクワで見た「狂人日記」は、ヴァフタンゴヴァ劇場、フォメンコ演劇工房そしてアパルテ劇場の三劇場だ。

ヴァフタンゴヴァとフォメンコでは一人芝居の形式だった。前者は舞台の真ん中におかれた棺おけのような大きな箱の周りで独白が続く。観客はたった一人の出演者を取り囲むようにして観劇するのだが、彼の狂気の原因が己の身分違いの恋ではなく、まるで周囲の我々にあるように錯覚させられていくのには衝撃だった。

フォメンコではあえて「狂人日記」と題せず、主人公の名前「ポプリシン」がタイトルとなっている。一小役人の男の被害妄想と狂気への過程が丹念に描写されていた。フォメンコスタジオの奥行きある舞台を縦横無尽に使って、時間と空間の効果も最大限発揮。

そしてアパルテ劇場では、「狂人日記」をモチーフとしたモノローグ作品「湿った雪について」というタイトルになっていた。こちらはヴェーラ(長官の娘?)というロインとの二人芝居。しかし会話の応酬はなく、互いに独白するだけである。狂気に陥っていくのは、主人公の小役人だけでなく、ヴェーラの方もであった。場面もひたすら雪の中。ちょっとしんどい独白芝居だった。

「狂人日記」の被害妄想は、なにも帝政ロシアの時代だけではなく、現代にも共通性がある。どうにもならない障碍にぶつかったとき、しだいに狂気に取り付かれてしまうのは、人間の根本的なものなのだろう。それをこれだけ突き放して描写し、舞台化へのインスピレーションを与えるゴーゴリはすごいの一言に尽きる。

 

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28.10.08

展示即売、アートビジネス

モスクワ川河畔にあるトレチャコフ美術館別館。本館とは違い、近代的(ソ連的?)で巨大な建物の、シネコンならぬ「アート・コンプレックス」である。

ここでは有名画家の展覧会から個人的なギャラリー風展示まで、ロシア現代美術の動向を知ることができる。斬新な展覧会がいくつも同時並行で行なわれ、おもしろい作品も数多く見ることができて楽しいのだが、「売るためのアート」であることが多い。作品の下の方に値段が書かれていたりするとちょっと興ざめする一方、売るためのセールストークやしつこい勧誘が一切行われないのが不思議な対照をつくっている。

ちなみにトレチャコフ美術館別館と対面のゴーリキー広場を結ぶ地下道は、絵画や画材を販売する一大モールとなっている。こちらは、ちょっと立ち寄ってみただけなのに、売り子が駆けよってきて、作品についてのうんちくを垂れて購買をすすめる。やはりロシア現代美術は、芸術というより商売なのである。

下:たまたまトレチャコフ美術館別館で開催されていたとある画家の展覧会。

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26.09.08

プーシキン劇場(Московскй драматический театр им. А.С.Пушкина)

地下鉄プーシキンスカヤに近いプーシキン劇場。アクセスがよいので、ちょくちょく通った劇場である。また、私がよくお邪魔した知り合いのロシア人おばあさんも、「退役軍人(ヴェテラン)ご招待」(独ソ戦では男女を問わず大戦に貢献していた)でしょっちゅう観劇していた。

前身から数えると90年の歴史を誇るモスクワでも屈指の歴史ある劇場で、タイロフなどの名優を輩出。1950年に現在の名称となる。ロシアの劇作だけでなく、欧米の作品も多く取り上げている。
ロマン・コザクが舞台総監督となってから、本館・別館とも次々と実験的な作品を発表し、毎年行われている「黄金の仮面賞」のノミネート常連でもある。

私がこの劇場で観て印象的だったのは、サチリコン劇場のコンスタンチン・ライキンとロマン・コザクによる二人芝居「Косметика врага(敵の化粧)」。ジキルとハイドのような二つの人格の戦いの話だった。また、映画「道」のジェルソミーナをモチーフとした 「Ночи Кабирии(カビリアの夜) 」は、これまで見たプーシキン劇場の演目の中で一番哀しい悲恋物語だった。神学生と妖女の戦いよりも対話が重視されたゴーゴリの恐怖譚「Вий(ヴィー) 」 、なにより楽しい子ども劇「Кот  в  сапагих(長靴をはいたネコ)」なども印象的だった。

駄作だったのは「Ромео и  Джульетта(ロミオとジュリエット)」。時代背景を現代に改編し、ウェストサイドストーリーのような青春ストーリーの雰囲気を出していたが、そのときの配役に演劇学校出たての若手二人の演技が快活でなく、あまり面白くなかった。

本館:Тверской  бульвар, 23

別館:Малая сцена: Сытинскй пер. , 3/25

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