Posts categorized "日記・コラム・つぶやき"

05.09.12

今年も行けなかったロシア

日本の生活はなんとせわしないのだろう。

モスクワから帰ってきて満7年、最後にモスクワの地を踏んでから、まる5年が過ぎた。毎年電話だけで挨拶をするおばあちゃんが、「早く来ないともう生きていないよ」と脅しをかけるが、今年こそという思いだけでまったく行くチャンスがない。ビザさえ要らなければと思うが、それ以上に休みが取れないのと、周囲が「ロシアに行く」ことに全然理解がないのだ。

そう書くと、実行力がないお前が悪いと言われそうだが、年々治安の問題が厳しくなっているモスクワに一人で行くことは、それなりに覚悟がいる。

おばあちゃんはもう85歳を越える。早晩死ぬことは明らかだ。どうせロシアにはもう行けないのなら、こちらも健康に注意して頑張ろうとか、軍資金をためようなどとモチベーションを保つことがばかばかしくなる。そんなこんなで、多分自分の人生は後悔だけで終わる。たぶん。Kolomensk_07

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02.08.10

1988年のモスクワ

1988年8月のモスクワは、カーディガンを羽織るのがちょうどいいくらいの天気だった。初めての海外旅行で、ツアーに乗っかってやってきたモスクワだったが、最初の訪問地ハバロフスクでの買い食いが原因によるお腹の調子急下降がようやく上向いてきたところだった。

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とにかく広い道路(当時は車も少なかった)と、でかい建物に圧倒されながら夕方から自由行動。宿泊地は地下鉄スモレンスカヤ近くのホテル・ベルグラード。ここからサドーヴァヤを渡ってノーヴィ・アルバートへ散歩しに行った。ペレストロイカ真っ最中の歩行者天国は、まさに活気に溢れた自由広場といった感じで、緊張を強いる赤の広場とか空港の待合室とかとは大違い。窓から漏れる「ミラーボール」の光に誘われて入ってみた「ディスコ」は、いわゆる西側の音楽で踊り狂う若者でいっぱいだった。同じ光景は、同年たまたま行くことになった中国・桂林でも見ることとなる。

地下鉄に乗って、マヤコフスキー駅で降りた。ロシア文字もろくに読めない当時は、これだけでもおっかなびっくりの大冒険である。体調最悪のレニングラードから幾分もちなおしたおかげで、モスクワはわりとよく観察できた。でも、10年後にモスクワに住むことになるとは予想だにしていなかった。しかもソ連ではなく、ロシアのモスクワ。運命のうれしい皮肉である。

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09.11.09

ドイツから来た「N」女史の思い出

ベルリンの壁崩壊から20年。ドイツ人に対するロシア人の感情はさまざまだが、どう見ても独ソ戦を行ったと思えないほど、どちらかというと親近感がある。

ところで、インターナショナル・ウーマンズ・クラブでロシア語サークルにも入っていた私は、そこでNさんというドイツ人と知り合った。何度か彼女の自宅がサークル会場になったが、夫がドイツ大使館勤務だったため、モスフィルム通りに面した職員アパートの(日本風でいえばマンションか)、広く落ち着いた部屋に住んでいた。
彼女はロシア語もかなりうまく、サークルの中では上級レベルだった。

ある冬の日、私はサークルの開催日を間違えて彼女の家に行ってしまった。突然来訪した私にびっくりしながらも、「お茶でも飲んでいきなさい」と言って部屋に入れてくれた。そこでNさんと普段はできない話をいくつかしたのだが、彼女は実はチェコ人だった。

ティーンエイジャーの頃、プラハの春が起こり、そのときソ連軍が介入してきた。ロシア語が強要され、ソ連は大嫌いだと思いながら暮らしてきたという。結婚した相手はドイツ人だったので、ヨーロッパを何カ国か回ったが、まさかロシアに配属されるとは思わなかったそうだ。ベルリンの壁もかつてのソ連もなくなったが、わだかまりがなくなったわけではない。Nさんは複雑な思いでモスクワに来たそうだが、子どものころ習わされたロシア語が甦るにつれ、ロシアに対する興味が出てきたのだと語っていた。

サークルのとき、私はNさんによい感情を持っていなかった。というのは、どうもアジア人に対する蔑視みたいなものを感じていたからだ。しかしこのとき以来、彼女に対する見方を変えた。ドイツにもソ連にも翻弄されてきたチェコスロヴァキア。そこに生まれたNさんが、ドイツ人と結婚してロシアに住んでいるということに、不屈の精神を感じたからだ。

残念なことに、そのサークルは帰国者が増えて空中分解してしまった。

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23.08.09

タクシードライバーの話

値段交渉のできる白タクを利用する人は多かったが、私はできるだけタクシー会社所属のタクシーを利用していた。事前に予約の電話を入れると、車種とナンバーを伝えてくる。待ち合わせの場所でその車を探して乗り込み、予約のときに受けていた料金を支払うというシステム。ぼったくりもなく車がはっきりわかっているので、比較的安心して利用できた。

タクシーの運転手もいろいろなタイプがいて、運転の粗い人、丁寧な人、自分の好きな音楽やラジオ番組を強要する人、根掘り葉掘りこちらのことを訊きたがる人、寡黙な人、こちらの質問に熱心に答えてくれる人、初対面なのに人生談義をぶつける人など、客以上に個性的な感じであった。降りる際にチップを少しはずむと、次回も指名してくれと名刺をくれたりする。これはタクシー会社を通さない越権行為なのでほとんど利用しなかったが。

ところで、予約タクシーで配車されていたのは運転手の自家用車。タクシー会社との連絡は無線ではなく携帯電話で行われている。ちなみに、いわゆる典型的なタクシーは黄色に市松模様の行灯をつけたもの。街中で走っているのをみかけるのはまれで、流しをつかまえるのは至難の業だ。

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02.06.09

ついでに「FUZZ」についても

  「OM」の話を書いたので、ついでに「FUZZ」についても記す 。 内容は主にロシア国内外のロックバンドの動向とインタビュー、アルバムレビューから構成され、ロシアの「ロッキン・オン」とも言える。

前出「OM」に比べるとかなりまじめにロックシーンをとりあげており、ときどき特集される英米グループのインFuzz_babsleyタビュー、歴Fuzz_mulitfilimyFuzz_lyapis_trubetskoi史回顧記事などみても、Fuzz_nayv日本Fuzz_mummiy_trolli_3のロック評論と遜色ない

感じである。また、インディーズ情報もあって、このあたりはさすがにペテルFuzz_koroli_i_shutブルグに本拠地がある雑誌である(つまり、首都に対抗してオルタナティヴなものを志向する傾向にある)。定期購読者にのみCD音源の付録が付くなど、Fuzz_chaif企画もユニーク。Fuzz_leningrad地元FM局で選曲された曲目リストも毎回載っていて、意外なことに日本のミニマル・ミュージッFuzz_splinクなど人気が高い。

99年に帰国するとき、この雑誌の「読者コーナー」に投稿して手紙やメールがたくさん送られてきた。10年もたつと自然淘汰されていFuzz_garik_sukachevき、現在もメールのやりとりが続いているのは1人だけFuzz_chizh_i_coだ。

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Fuzz_mashina_vremeni

Fuzz_viktor_tsoi 

Fuzz_nochnye_snaiperyちなみに「定期購読」とは、毎月郵送されてくる購読方法で、ロシアでは書籍の通販は想像以上にポピュラーな手法。しかし、郵便システムが不安なので、私はこの種類の雑誌では利用したことがない。

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20.05.09

おうちがどんどん遠くなる~帰国4周年

モスクワから帰ってきて、4年目となった。
日々薄れていくモスクワの記憶。それでも時折起こるフラッシュバックはとても鮮明だ。

不思議なことに、夢の中にはモスクワの情景はまったく出てこないのだが、なぜか日本国内で懸命にロシア語を話そうとする夢を見ることはある。

また彼の地へ行くことはあるか? 

天変地異でモスクワがなくならない限り、可能性は残る。ただしその前に自分の寿命が尽きなければいいけど。

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12.10.08

秋の風景

芽吹くのも猛烈な速さであるが、落葉するのもあっという間のモスクワ。秋雨があがるのを待ちかねて、公園を散歩するのが常であった。
平日の昼間の公園は、ベビーカーを押した若い母親や老人くらいしかみかけない。ときどき幼稚園児の集団がやってきて、きれいな落ち葉を拾ったりしている。

モスクワは、大木が少なく、ヒョロヒョロとした樹木が多い。その反面、木立の面積は格段に広い。夏の間は葉っぱで隠れていた景色が、落葉とともに見通しがよくなる。
わずか半年の間に、雪で閉ざされた半年分の炭素を固定する樹木の力はなんともすごいものだ。

林の中を歩いていると、ときどき忙しそうなリスが出現する。 こちらも食いだめであろうか。冬に備えて特別の準備をしなくなったのは、人間くらいではないだろうか。

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24.05.08

ダーチャの自然

夏の短いロシアでは、6月くらいが一番「夏」だと感じる。日も長いし、けっこう気温が上がるのもこの時期だ。

招かれたダーチャの庭で、カエルを見つけた。大きさは日本のアマガエルほどだ。あまり敏捷ではなく、かんたんに捕まった。色が茶色なので、あまりきれいとはいえないが、ロシアにもカエルがいるんだなあ、と不思議な感覚だった。そういえば、モスクワの日本庭園にある池にも、カエルが生息していた。このダーチャのカエルはどこで孵化したのだろう。

見かけた両生類/爬虫類はこのカエルくらいで、トカゲやヘビにはお目にかかれなかった。
ただし、日本の3倍はある大きな蚊(アブやブヨのような大きさ)は非常に多い。

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18.05.08

帰国3周年

Twilight_in_summer_moscow_2  今日で帰国してまる3年となる。

日本に帰ってきてから、ロシアは見違えるほど安定してきた。あれほど頻発したテロも少なくなり、経済発展のスピードは加速するばかり。愛国主義者によるネオナチズムの動きはあいかわらずだが、日本ブームもまだまだ続いている。そして、いつの間にかプーチン氏も大統領任期をまっとうし、今や世界にもまれなタンデム体制・・・。

今は物理的にモスクワから遠く離れているけれど、気持ちはまだ半分ロシアに住んでいる。それでもだんだん距離が開いていくのだろう。

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16.04.08

爆発する春

やっと雪が消えた4月、緑が芽吹き始めるが、花が咲くのもほぼ同時。北国ではひたひたと春がやってくるのではなく、ある一定の線を越えると一気に春に突入という感じだ。

ロシア人の気質も爆発型なんだそうだが、短い春や夏をいかに有効に過ごすかという点にかけては、日本人より何倍も長けているような気がする。
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