Posts categorized "趣味"

20.05.10

パレフ教室

Img_1265モスクワに来るまで、パレフの「パ」の字も知らなかった。黒塗りの細密画のようなみやげ物が売っているのを見ただけだが、たいして気にも留めず通り過ぎていた。

近所に住んでいた日本人駐在妻のグループからお誘いを受け、最初はいやいやながら参加していたのだが、いつの間にかハマってしまったのである。

まず、この真っ黒い箱が木ではなく、紙を何枚も重ねて油で固めてあるということ、この民芸品はイコンを基本にしているということ、そして何といってもあのチマチマした筆さばきが、大雑把な性格の私になぜかぴったりだったということがその理由である。

パレフの稽古日はおよそ週1回。会場は持ち回りだが、月ぎめで誰の家と決めている。そこへ道具を持っていくのだが、自分の家が会場になった場合、スリッパの数あわせからお茶請けの準備まで、いろいろたいへんだ。お子様連れの場合もあるので、暇つぶしも用意しなければならない。

先生は美術学校出身のロシア人女性。恰幅がよくて指も太いが、筆先の動きは繊細で、細かい線でもバッチリ決める。およそ2~3時間の稽古日で、自分の作品をその場で作りながら先生に直してもらうのだが、先生の直しでほとんど完成させている人もいた。

私はひとつの作品に長く時間をかけるのが苦手な上に、飽きっぽいので、いつもいくつかを並行してやっていた。先生もそういう性格を見越してか、「早すぎる完成はよくない」とか言っていたけど、おかげで小品をたくさん仕上げることができた。
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13.02.10

ドラッグストアファン

Img_7198 「モスクワは環境がよくないから飲んだ方がよい」といわれて勧められた「ヨード・アクティヴ」という薬。空き箱が手元に残っていないので、詳しい成分はわからないが、その頃から処方箋無しで買えるドラッグストアの商品を興味本位で買ってみていた。

上の写真「Аскорутин」も知り合いが「健康のため」と言って勧めたものだ。幸い違法ドラッグではなく、薬屋で普通に買えるものだ。効いていたのかどうか不明。

それから、ようやくみつけたヨードチンキ。いわゆる日本の「赤チン」にあたる傷口消毒薬は、モスクワでは赤ではなく青いもの。したがって、怪我をして塗った部分が青になり、赤以上に不気味だ。どうしてもその「青チン」に馴染めなかった私は、薬局を2~3軒ハシゴしてようやくヨードチンキを入手した。なんとなく茶色が濃く、日本のものより濃厚な感じ。アクリノールなどは御目にかかれなかった。

このほか私がドラッグストアでしばしば購入していたのは、各種ハーブティー。漢方薬気分で試せる。

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11.07.09

モスクワ 通り名の楽しみ

Prospict02_2モスクワの通りの名前はおもしろい。特に中心部は、日本の城下町のように、その場所にあった施設や職業集団が由来となったものが多くみられる。
たとえば、地下鉄ルビャンカ駅から北へ伸びるミャースニツカヤ通り(ул.Мясницкая)。肉屋(肉はмяса )があったといわれている。また、イズベスチヤ社やタス通信が近いところには Газетный  переулок(新聞横丁)、 別の露地はХлебный  переулок(パン横丁)など、帝政時代のモスクワを彷彿とさせる。

ロマノフ王朝終焉後は、革命での重要人物や共産党組織にちなんだ名称(レニンスキー大通り、組合〔プロフサユーズナヤ〕通りなど)などがあちこちにつけられた。このうちメインストリートのカリーニン通りなど、マルクス通りなどはソ連崩壊後改称。これは通りだけではなく、地下鉄駅、地区名なども同じ。
しかし中心部から離れると今でもソ連式の名前を持つ通りは多く残っている。

①たとえば、その場所と関係ないのにつけられたもの。
ウクライナ並木通り)、大グルジア通り、アルメニア横町、ミンスク通り、大タタール通りなど。かつてソ連邦を構成していた共和国の名前が郷愁を誘う。

②国内の別の都市名がついたもの。
カムチャッカ通り、マガダン通り、ナラ‐フォメンスク通り(日本の奈良とは無関係)など。

③革命的な要素が残るもの。
マルクス主義者通り(ここの住人はマルクス主義者に限る?)、10月通り(10月革命にちなんで)、労働者通り(この手の職業名称の通りはほかにもある)など。

④変わった名称のもの。
動物学通り(文字通り動物園そば)、黄金通り(由来不明)、フェスティバル通り(由来不明)、《真実》通り(実際に真実にはカギカッコがつけれられている)など。Street_names_2

実際にその通りに行って見ると、なるほどと思える命名と、どうして?と思う通りの名があってなかなか興味深い。日本語の語感に似ている「チャソヴァヤ通り」や、日本大使館の建築地候補となりながらも、語感が×で却下された由緒ある通りなど、通りにまつわるエピソードは数え切れない。

また、通りの名前の由来については多くの書籍が出ており、これを読みこなせたら立派なモスクワ郷土史家になれる。

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21.06.09

下見マニア

いついくか、誰と行くかわからない小旅行。そのための下見をするのがひとつの趣味であった。 というわけで、用もないのに行ってみた場所に地下鉄ショルコフスコヤ駅(Щелковская)そばのモスクワ郊外行きバスターミナルがある。 パレフとイワノヴォに行ってみたくて、バスだとどうやって行けるのか下調べするのである。時刻と運賃をメモし、どの窓口でチケットが買えるか聞き出し、ついでにバスターミナル内の売店やトイレの位置をチェックする。施設によっては雰囲気のよいカフェや掘り出し物のキオスクに遭遇することもある。 また、近郊バスターミナルではどんな感じの人が往来しているか、警察の詰め所がどこにあるか観察するのも重要だ。 結局、パレフにもイワノヴォにも行くことはなく、この下見はただの見学に終わった。

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13.05.09

モスクワでの英語学習

ロシアで生活するにはロシア語が最重要。しかし、ロシア語ができない非ロシア人と交流するとき、コミュニケーション手段はやはり英語となる。

イディオムの嵐に辟易して、すっかり英語嫌い(受験英語嫌い)となっていたが、これを克服すべくモスクワで英語学習を始めた。
まずはIWC(International Women's Club)のボランティア講師によるサークルに参加。だが、これは参加者のレベルがバラバラで、どちらかというとフリートーキング茶話会に近い。そこで、次に考えたのがブリティッシュ・カウンシルの英会話教室にちゃんと受講料を払って通うというものだった。

モスクワのブリティッシュ・カウンシルは外国文献図書館(日本の大使館広報室も同じ建物)の敷地にあり、ゲートをくぐると職員の愛想のよさにモスクワであることを忘れてしまう。
私はIntermidiate(中級)クラスを受講。使用したテキストは「New Gateway」の中級レベルだ。
生徒は私を含め5人。もちろん、日本人は私だけ。先生はイギリス人男性であった。
ひとまわりも若そうなクラスメートと共に、あるときは役割練習、あるときはカードや図を用いたコミュニケーション練習など、いろいろ面白い内容だった。

しかし、休み時間や下校となるとクラスメートとロシア語で話してしまい、どっちかというとロシア語の練習になってしまうのであった。カーチャという女の子と仲良くなり、私の好きなロシアポップスの「歌詞聞き取り」とか、行ってみたいカフェに付き合わせるなど、いろいろ利用させてもらった。教室にはおよそ半年通った。

ロシア人は「イギリス英語」を正当と思っている人が多く、流暢な英語をしゃべる人はどちらかというとイギリスアクセントだ。

http://www.britishcouncil.org/ru/russia-english.htm

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03.03.09

モスクワのネコを写す

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Bcat03春が近くなると、野良猫たちも活発になる。概してモスクワのネコはおっとりしており、人間の気配だけでさっと逃げるようなことはあまりない。ただし、カメラ視線で撮影するのは難しい。

ロシア人はネコに呼びかけるとき「クスクスクス」とか、「キスキスキス」という。どうしてそういう呼びかけをするのか知り合いに聞いてみたが、理由は不明。ネコを性別や年齢によって「コット」「コーシカ」「キスカ」「カチャーノク」などというので、それが連呼されたものだと思う。とりあえず「クスクスクスクス」呼びかけると、8割以上のネコがこちらに目を向ける。日本のネコにも有効で、「k」と「s」の音価がネコの聴覚になんらかの刺激を与えるのだろう。

    

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29.12.08

バレエ教師 アンナ・フョードロヴナのこと

IWC(インターナショナル・ウーマンズ・クラブ)に所属していた頃、初心者・個人でもOKという文句につられて、バレエを習いに行ったことがある。ほかの日本人駐在者は、日本人学校の中にあるグループレッスンに参加していたが、へそ曲がりの私は日本人集団に関わる気になれず、迷わずこちらを選んだのである。

教えてくれたのは50歳くらいのアンナ・フョードロヴナ先生。背丈はそれほど高くないが、ぽっきり折れそうなほど痩せている。彼女の自宅は、旧アルバート通りから横丁に入ったアパートの一室。そこが居住兼レッスン場だった。室内は玄関ドアから廊下をつたって、練習バーが取り付けてあり、お世辞にも広いとはいえないフラットだが、どこでも練習できるような工夫がしつらえてあった。

フョードロヴナ先生は、元ボリショイバレエ団のプリマだったといい、部屋の中には白黒の大きい舞台写真がおいてあった。日本にも公演しに行ったことがあるという。十八番は「ドン・キホーテ」だったそうだ。

私にはバレエを習った経験はなかったので、とりあえずバーレッスンで基本から、ということになった。しかし、困ったのが言語。IWCの共通言語は英語なのだが、フョードロヴナ先生はロシア語しかしゃべってくれない。動作の単語は基礎的なものはわかるが、細かいものはわからない。結局、先生の動作を見て単語を理解する、ということでレッスンは進んでいった。

体は元来ある程度柔軟だったけれど、脚は思ったほど上がらない。そこで先生にどうしたらよいか尋ねたことがある。フョードロヴナ先生はあっさりと、「それは脂肪がついていて、持ち上げるのに重過ぎるからだ」と言われた。それでも双方、美容と健康のためと割り切っていたせいか、毎回淡々と進んでいった。

なぜか見込まれて「日本に帰ってもバレエを練習しなさい」と言われてしまったが、結局日本でバレエをやることはなかった。Ballet_shoes

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23.03.08

ロシア硬貨の寿命

ソ連時代からロシア連邦になるまで、何度か行われた通貨デザインの変更。記憶に残る一番すごい改革は1998年の1000分の1デノミであろう。その前から100分の1ルーブルにあたる1カペイカなどほとんど使われなくなっていたが、デノミの直前など、いったいいくつ「0」があるのかわからなくなるほどだった。

経済が上向きになった昨今も、カペイカの地位は低い。価格はカペイカ単位まで表記してあるのに、おつりにカペイカができると切り捨てたり切り上げたり。そして、近々カペイカが廃止されるという話を聞いた。ロシアでは、流通貨幣の切り替えが行われると、一定時期を過ぎて古い貨幣は使えなくなる。文字通り紙くず、もしくはただの金属片と化す。

ロシア人の家に遊びに行くと、思い出話のついでに、「この硬貨は見たことないでしょ?」などといって昔のコインをくれたりする。
50年たったものはアンティークとして価値が出てくるかもしれないが、ソ連時代の硬貨コレクションなど、よほどのマニアでなければあまり意味がないかもしれない。ちょっとありがた迷惑。でも「3ルーブル硬貨」をもらったときは、正直うれしかった。こんな中途半端な金額、日本ではぜったいお目にかかれない。

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02.03.08

クラシック・カー

ロシア車で連想するのは、「ジグリ」「ヴォルガ」「ラーダ」あたりが関の山。かつての高級車「ジル」などはお目にかかったことがない。

車種にはうとい私だが、アルバート通りにある「レストラン・プラーガ」で見たクラシックな車には、思わず目を見張った。ナンバープレートがかかっていないところを見ると、単なる展示らしい。それにしても、こんな車いったいどこの誰が所有しているのだろう。

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08.01.08

グジェリの置物コレクション

収集癖というものはあまりない方だが、モスクワにいるときにかなり集めていたのがグジェリ(グジェリ風の偽物も含む)。ただし、食器はたくさん集めてもしょうがないので、主におき物を集めていた。
干支シリーズの動物に凝っていたが、残念ながら12年モスクワにいたわけではないので、全部を集めることはできなかった。

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Twin





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