Posts categorized "音楽"

16.10.08

イリヤ・ラグチェンコ、40歳の誕生日

ロシアの「ビッグネーム」となったバンドの中で、ムーミィ・トローリは極東出身というきわめて特異な出自。私が初めて彼らの音楽を聴いたのは、大ブレイクした「Дельфины」からだったが、本格的にのめりこんだのは「В  думах о красавице из города центрального подчинения КНР」とどうしようもなく暗いナンバー「Эхом гонга」を聴いてから。

「В  думах・・・」は中国琴が使われているだけでなく、歌詞の一部が中国語で、中国語の台詞も入っている。きわめてエキゾチックなつくりなのだ。残念ながら、このナンバーは、ムーミィ・トローリが全国でメジャーになる前のアルバム収録曲なので、一般ロシア人にどのくらい受け入れられたのかわからないが、1998年のДК ガルブーノフコンサートでも演っているので、まあまあのヒットだったのかもしれない。

初期ムーミィは、「サヨナラディスコ」とかいう、わけのわからないディスコナンバーも録音しており、彼らのローカル性が前面に押し出されている。

そんなバンドを引きいるイリヤ・ラグチェンコが、10月16日についに40歳。最近は8枚目のダブルアルバムも出してますます意気盛んだが、ちょっとメロディラインの変化が乏しい気がするが。

Mt_2000

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16.10.07

まぼろしのウテカイ・レーベル

Utekai_opt1 Utekai_opt2 1997年に大ブレークしたムーミィ・トローリに熱を入れていた私。翌98年、ついに彼らの起こしたレーベルУтекай Опт(ウテカイ・OPT)にファンレターを出して、ボーカルのイリヤに取り次いでくれという暴挙に出た。

驚いたことに返事が来た。しかし、内容はウテカイ・レーベルから出ている商品のプライスリスト。商売上手な側面を見た。そこでじかにレーベルの事務所を訪ねてやろうと思い立った。住所はミンスカヤ通り。地下鉄フィリ公園が最寄なので、それほど遠くない。事務所の入っている建物もすぐわかった。

ところが、その住所にはオフィスはなく、まったくウテカイ・レーベルとは関係ない別人が住んでいた。「ウテカイ・OPT」のことも知らないという。でも確かにウテカイ・OPTから出たオムニバスアルバム「У1」には、「ミンスカヤ通り」が連絡先だと書いてあるのだが・・・。

結局このレーベルはそれほど成功しなかったらしく、所属アーチストの多くは、その後リアルレコードなどから作品を出している。

追伸:このブログを発表した10月16日は、イリヤ・ラグチェンコの誕生日だった。私はすっかり忘れていたが、MTファンからイリヤの誕生日だからこの話題を書いたのかとご指摘を受けた。まったくの偶然です。

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30.05.07

Maxidrom

毎年5月末から6月頭に開催されるロックフェスティバル、「マキシドローム」。FMラジオ局Maximの主催で開催される。場所は地下鉄プロスペクト・ミーラからほど近い、オリンピックスタジアム。さしずめ武道館コンサートみたいな感じだ。

私は98年、99年の2回見に行った。Maxidrom0065 早いもので、もう10年近くたとうとしている。

オリンピックスタジアムは、野球場のようにチケットによって入場場所が違う。すでにアルコールで出来上がった若者がうようよ。一人で並んでいると若干怖い。機動隊が地下鉄駅からすでに警戒態勢を敷いている。入場前に、ペットボトルの飲み物は危険防止のためにすべて没収。カメラや録音機を持っていても何も言われない。

いよいよ開場すると、中に入るのを待ち構えていた若者集団が突撃するように入場。会場はステージに一番近いところはオールスタンディング(танцевальный зал)だ。私はいつも安い席なので、ステージの様子はモニターに頼るしかない。16時開演なのに、開始まで延々一時間以上待たされる。その間、売店などでオリジナルグッズなどを買ったりして時間をつぶす。

一般の単独コンサートではないので、前座はいない。観客が早く開始しろとブーイングするまで、場内ではMaxidromのテーマが流れているだけ。ようやく最初のグループが出てくると観客は総立ち。天井から撮影カメラが下りてきて観客もモニターに映し出される。オールスタンディングの場所では、ロシアでのロックコンサートで名物の、「彼女を肩車」体勢がそこここに見られる。

Maxidrom0066

印象に残ったのは初めて参加した98年。この年は比較的早い時間に、前年大ブレークしたМаша и медведиが登場し、男の子たちが「黄色い声」をあげた。また私がミーハー熱を上げていたМумий Трольをはじめ、Ва-Банкъ、Браво、Ногу Свело!やTequilajazzも出演し、一番内容が濃かった年でもある。99年にはたしかЗемфираも出たはずだが、トリに近かったらしく私は見ていない。

コンサートは夜中まで行われる。いくら日没が遅いとはいえそんな時間まで居れないので、適当に引き上げる。

2001年ごろから、外国ロックグループを迎えるようになり、国内最大のロックイベントという性格が変化してきた。テレビ番組「スター工場」に象徴されるように、アイドルやグループを「発掘」し「育てる」システムが確立してきたことで、ロックグループのあり方も変わってきた。反体制ロックグループという言葉もすでになく、あるのは商業ロックばかりである。Maxidromのようなロックの祭典が今後どう変わっていくのか、見守りたいところだ。

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12.05.07

モスクワ・ジャズ・フェスティバル

あまり知られていないが、ロシア人はけっこうジャズが好きだ。洗練を旨とするヨーロピアン・ジャズの中でも、特にロシアのジャズはクラシックのテクニックに裏打ちされた、超絶技巧的即興がすごい。それでも興奮うずまくセッションという感じではなく、クールでさらっとしているのが持ち味である。

毎年夏にエルミタージュ公園で開かれている野外ジャズフェスティバルは、ファンはもとより近くを通りかかった人まで気楽に楽しめるジャズの祭典だ。日没遅いモスクワの夏のひととき、ジャズに酔うのはなかなか贅沢な過ごし方である。

スタンダード以外にも、モダンやアシッドジャズなどバリエーションも豊富だ。 Jazz_fes_at_ermitazh0191_1

Сад Эрмитаж 

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26.11.06

モスクワで見たライブ アリサの巻

ヴィクトル・ツォイ率いる「キノー」が、すでに伝説のグループと化してしまったのに対し、「アリサ Алиса」はレニングラードロックの雄として今もバリバリの現役。おじさんバンドとして、DDT(ДДТ)やアクアリウム(Аквариум)と共に、不動の人気を誇る。

アリサの「Trassa E-95」をMTVで見て私はそのストーリー性ある展開に、すっかりはまってしまった。そこで1999年春、ガルブーノフ文化宮殿でのライブに行ってみた。

80年代のような毒々しいアイラインはないものの、コンスタンチン・キンチェフのパフォーマンスは矢沢栄吉のようだった。観客は大半がティーンエイジャー。中にはパンクの格好の子もいる。こぶしを振り上げて歓呼するが、あまり一体感があるライブとは感じられない。ロシアでのハードロックの位置が、非常に微妙なものであることを実感してしまった。

ちなみに、コンスタンチン・キンチェフは大の釣りキチである。釣り上げた魚を両手で掲げて微笑むさまから、とてもロックシンガーであるとは想像できない。A95

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03.11.06

クラブ 「タブラ・ラーサ」

キエフ駅からバスかトロリーでモスクワ川沿いにモスクワ大学方面へ行く途中に、クラブ「Tabula Rasa」はあった。近隣は給湯工場ТЕЦと第三環状道路。とてもライブハウスがあるような場所に見えない。

ところがこのライブハウスは、毎晩日替わりで、ノーグ・スヴェロー、モンゴル・シューダン、マンゴ・マンゴ、ドヴァ・サマリョータなど個性的なバンドがライブを行う、モスクワのライブシーンでは老舗のひとつだった。

残念ながら2002年、火災のためクラブは地下鉄フルンゼンスカヤ駅のMDMビル内に移転。その後の動向はいまひとつよくわからない。ホームページがなくなっているところを見ると、おそらくつぶれてしまったのだろう。現在、当時の雰囲気を残しているクラブは、たぶん「16トン」だけかもしれない。

http://chefmoz.org/Russia/Moscow/Tabula_Rasa1041036276.html

Tabla_rasa Tabla_rasa2 http://www.parter.ru/performs.asp?performer=1641&ulang=ENG

http://www.mashina-vremeni.com/phpBB2/viewtopic.php?t=3719

http://www.go-magazine.ru/venues/show/2303

(写真はBerezhkovskaya Nab, 28に会った頃のタブラ・ラーサ)

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21.10.06

ムーミィ・トローリの立て看板

10月16日はイリヤ・ラグチェンコの誕生日だった。大ブレイクしていた98-99年に比べると、すっかり落ち着いてベテランバンドとなってしまった感のあるムーミィ・トローリ(MT)。近年は新境地を開くべく、映画音楽や映画出演などの活動が目につく。

そんな彼らであるが、MTは私にとって数少ない「安心してライブに行ける」バンドのひとつ。なにしろファン層は相変わらず10代の女の子が多いし(98年当時は血気盛んな男の子も多かった)、ヴォーカルのイリヤはエキセントリックな言動にも関わらず、アンチHIVキャンペーンや反戦運動などに参加したりして、わりと社会常識のあるミュージシャンだからだ。

2003年4月にスターリィ・アルバート通りのコンサートホールであったライブもそんな「優等生バンド」にふさわしいパフォーマンスだった。ほぼ定刻に始まり定刻に終了。盛り上がりのツボを抑えたステージング。びっくりしたのは、観に来た女の子たちが皆カメラ付き携帯電話を持っており、コンサートが始まると一斉にパシャパシャと写真を撮り始めたこと。でも誰も注意しない。たしかに、テロ防止の金属探知チェックは受けたが、カメラを持っているかとか録音機器を持っているかなどは一切検査されなかった。肖像権とか著作権など気にしていないらしい。のんきなものだ。

思えばMTも再結成してから10年たとうとしている。時間がたつのは本当に早いものである。

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12.10.06

Бравоのコンサート

ソ連時代から愛聴していたロックグループ、「ブラヴォー」。

彼らのライブに初めて行ったのは1997年晩秋。場所はモスクワの秋葉原として名高い、ガルブーシカ近くのガルブーノフ文化宮殿だった。Advertisement

初めて行くロシアグループのライブということで、近所に住んでいる日本人の奥さん(トシがけっこう近かった)に頼み込んで一緒に来てもらった。今考えるとちょっと申し訳なかったが。

ホールでのコンサートとはいえ、れっきとしたライブ形式。しっかり「前座」の演奏があった。その日の前座は「ジーンズ・アンド・ギターズ」。持ち時間が異常に長い。はっきりいってうるさいだけのパンクバンドで、どうしてこんなバンドがブラヴォーの前座なのか理解に苦しむ。しかもホールは席が前半分ほど中途半端に取り払ってある。観客はみんなステージから10メートル離れた席に座り、ステージ前にはがらーんとした空間。

ブラヴォーのライブは定刻から2時間近く遅く始まった。待ちくたびれた観客は、いまいちノリが悪い。2、3曲演奏したとき、ステージ上にいきなり女の子が上がってきて、ヴォーカルのロベルト・レンツに抱きついた。しかし彼は驚きもせず、彼女に「ぶちゅー」っとキスをした。その瞬間、ステージのすそからスタッフが飛んできて、彼女をステージから引きずりおろした。なぜかそれが起爆剤となって、ステージは一気に盛り上がったのだった。

あっけにとられている私たち(日本人)をよそに、ブラヴォーのメンバーはMCも入れずどんどん演奏。後ろの客席は、すっかりアルコールでできあがったティーンエイジャーらが輪になって踊っている。しかし気になったのは、演奏しているブラヴォーの方だ。なんだか淡々としているのだ。確かにロシアきってのギター小僧、エフゲーニー・ハフタンのテクニックはすばらしかったが。

安いギャラで若者相手に演るよりは、ナイトクラブで演奏する方がずっといい条件だということはわかっている。しかし、ヴァレリー・シュートキンがボーカルをやっていた頃のライブ映像を見ていた私としては、その日の演奏は失望感が否めなかった。

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15.09.06

ロックコンサート~日本人の目線から

ロシア人は日本人より背が高い。これはもう自明のこと。たまに160センチそこそこの小柄なロシア人もいて、妙に嬉しかった。だが、背が低いことはロックコンサートでは絶対不利。ましてや肩車してくれる彼氏もいないわけだから悲惨の極地だ。

1998年、2日間にわたって行われたムーミー・トローリのコンサートは全てオールスタンディングだった。初日、生のイリヤ見たさにでかいロシア人の群れをすり抜けて、ステージの近くにつけた。しかし、これは愚かな判断だった。私の周りは林立する高層ビルのようなロシア人たち。歌っている本人はおろか、モニターすら見えない。頭上は、ロシア人の振り回す腕が飛び交い、怖くて上も向けない。もちろん、ぎゅうぎゅう詰めだったので、移動も不可。

2日目、教訓を得た私はホール後方に陣取った。今度はモニターは見えるが、ステージ上のパフォーマーは豆粒大。双眼鏡を取り出すが、ノリノリの観衆の中で、その行動は異様に目立ったようだ。横にいたロシア人らから、「双眼鏡貸して貸して~~」の連発に遭うハメに。ステージから遠かったが、2日目の方がマシだったか。

1999年オリンピックスタジアムで開かれた「ディスコ・マニア」というオムニバスコンサートも悲惨だった。ロシアでいう「アリーナ」は「タンツィヴァリニィ・ザール」といい、ステージ真っ正面のスタンディング席に相当する。当然、周りは熱狂的に踊るロシア人男女にあふれ、スポットライトは当たるわ、天井からテレビカメラがクレーンのように迫ってくるわで、音楽を楽しむどころじゃない。周りの男女も、主役は踊りまくっている自分、という感じだった。

結論。ロシアでのロックコンサートは、ステージと観客の距離が近いライブハウスに限る。

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←私の視線の高さはこんな感じ

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14.08.06

いわゆる「外タレ」のモスクワ公演

マドンナがモスクワにやってくる。3万枚のチケットが4日間で売り切れた。コンサート会場は雀が丘だそうだ。

Rod_stewart19970051いわゆる「外タレ(外国人アーティスト)」のコンサートは1999年あたりから盛んになってきた。ソ連時代、来たくても来られなかったからか、モスクワ公演が金になると踏んだのか。それともモスクワでコンサートを行うことで、キャリアに箔をつけるためか。

ソ連時代にコンサートをやった最初の「外タレ」は、ビリー・ジョエルとジャン・ミッシェルジャールといわれている。ロシアになってからのビッグネームでは、1999年のローリング・ストーンズに始まり、ポール・マッカートニー、ビョーク、スティング、ジャミロクアイなど。私が見に行ったのは、マーク・アーモンド、ロッド・スチュワート、デペッシュ・モードだ。Marc_almond1997 日本で見るよりずっとお得な値段で観れた。ブリトニー・スピアーズは、本人のコンサートかと思ったら、実はビデオコンサートだった。

日本人アーティストもけっこう来ている。ただし、クラブなどで演奏するのがメインなので、一般受けではなく、「通好み」な人選。FMドフトエフスキーなどがその手の日本人アーティストをよく取り上げている。一番人気があったのはピチカート・ファイブ。惜しまれながらモスクワで解散前のライブを行った。

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