Posts categorized "事件回想"

23.10.12

劇場占拠事件発生10年

日本時間では10月24日に発生。

あっという間に10年がたってしまった。当時、10年後にプーチンが大統領に再再登板(前回は再選されているので事実上3期目)しているとは誰が想像していただろうか。

いろいろと新事実も発表されているが、当局はすでに終わった事件として回顧すらしないだろう。でも、私は10月に冷たい雨が降るたびに、あの事件が起きた夜のことを思い出すのをやめない。P1020036

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12.04.11

チェルノブイリとフクシマ

とうとう福島第一原子力発電所事故が、チェルノブイリ原発事故と同じレベルの深刻さとされてしまった。漏れ出す放射能総量がじわじわとチェルノブイリに近づき、いつの間にか同位置に立ってしまったようだ。瞬発力で飛び出したトップランナーを追い詰めるような、マラソンのレースを想起させる。原子力発電所建設に反対する運動には細々参加してきたが、チェルノブイリ後わずか4分の1世紀で、再び深刻な原子力発電所事故が、しかも日本で起こるとは正直言って思わなかった。

奇しくもチェルノブイリ事故発生25周年まで2週間を切った。かの地では、いまだに高濃度汚染地域があるというのに、観光地資源として活用すると言っている。見上げた商魂ではないか。

いずれにしても、福島は一気に「原発事故のフクシマ」として世界的な地名になってしまった。同姓の人たちはさぞ迷惑しているだろう。

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28.03.11

モスクワ地下鉄テロと携帯電話の進化

地震と津波と原発事故のニュースに釘付けの毎日の中、モスクワ地下鉄でのテロから1年が過ぎた。2012年春の大統領選に一石を投じたといわれるこの事件。今年起こった空港テロで、ロシアでは再びテロが日常と化した様相だ。

私がモスクワにいた頃も、テロが日常化していた。しかし、今と決定的に違うことが一つある。それは携帯電話の進化だ。

地下鉄パヴェレツカヤでの自爆テロのとき、私たちが使っていた携帯電話はまだ写メールもできなかった。携帯電話は通話がメインだったので、もっぱら安否確認のツール。無残な社内の様子は、テレビや翌日の新聞を見るまでわからなかった。

あれから7年。テロ事件現場にいた人たちは、ジャーナリスト顔負けに果敢にも携帯カメラで動画に収め、YouTubeなどの動画サイトに流す。同じことはドモジェドヴォ空港でも見られた。そのため、報道の時差はあっても日本にいても、ほぼ同日に惨状を見ることができ、事件の詳細を知ることになった。

しかし、惨事を実況で目撃するような日常生活は、どんなに恐ろしいものだろう。起こるかもしれないと思いつつ、いつ起こるかわからないものは恐ろしい。それはテロも自然災害も同じだろうが、少なくともテロは怨恨が残っていくだけに恐怖の増幅は大きい。

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25.01.11

テロ社会再び? 

ドモジェドヴォ国際空港で爆弾テロ事件が発生した。現在の死傷者は200人を下回っているが、まだ多くなるかもしれない。2010年3月の地下鉄連続テロ事件以来1年たたぬうちに、首都における国の玄関でテロが再発したことは、2002-2005年のテロ連鎖を思い起こさせる。

これまで何度も交通機関は標的にされてきたわけだが、今回は国際線が発着する空港が狙われた。ロシア人だけでなく、多国籍の人間を犠牲にするがあったことが明確だ。しかし、当局はすでに「カフカス系」の犯行としており、監視モニターに映ったとされる容疑者が拘束されるのは時間の問題だろう。

今回の報道を聞いて、モスクワの知り合いに尋ねてみた。彼は「またか、という感じ。テロ慣れした」という返事。「モスクワでは、外にいても家にいても、安全は保障されない」と、あきらめとも投げやりともいえる答えが返ってきた。そして「誰が犯人かということには、まったく関心がない」とさえも。

すべてのロシア人がこうであるとはいえないが、漠然とした恐怖を感じながら、どうすることもできない当局と「異民族」に不信感を抱えている。私がモスクワにいた頃も、いつ隣にいるかわからない自爆テロリストを恐れたものだが、自分が「異民族」である以上、逆にテロリストと疑われる可能性があることも身をもって感じた。

不信がテロを呼ぶのか、テロが不信を招くのか、それが本当に「カフカス系」の犯行であるにせよ、当局の計略であるにせよ、選挙やオリンピックなどに向けてロシアでのテロ発生は、今後増えていくのではないかと危惧する。

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27.10.10

今年も過ぎた「ノルド・オスト」忌

日没が早くなった。暗くなった雨の道を歩くと、必ず「ノルド・オスト」の夜を連想させる。あの日もみぞれのような雨が降り続き、本格的な冬が到来しきれない、じめじめとした夜だった。

劇場占拠事件が発生したのは、2002年10月26日、今年で丸8年が経過した。大統領が変わっても、モスクワ市長が変わっても、あのとき使用したガスの成分や掃討作戦の全貌は明らかにされず、遺族は事件発生現場で追悼式を行うだけだ。

モスクワの人たちはどこにいても100%安全な場所はないという意識を持っているが、一種の諦観のようなものだ。今年に入って起こった地下鉄テロ、最近発生したチェチェン議会での自爆テロ、それらは発生当初人々にショックを与えても、徐々に忘れられていく。忘れなければ、モスクワでは生きていくことはできない。

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30.08.10

ロシア雑穀の怪

1998年の経済危機のころ、ソバとクルパ・マンナヤと小麦粉(日本のでいえば中力粉くらいのもの)を買い貯めた。思ったほど使わず時間が経過していったのだが、冬ごろなんとなく部屋の中に小さな「蛾」が飛んでいるのを目にするようになった。

最初は変だなと思っていたが、ある日買いだめしたクルパ・マンナヤのビニール袋から、中身がもれているのに気づき袋を開けた。すると、中に「蛾」の「幼虫」が孵化。
買い込んだクルパ・マンナヤはすべて同じメーカーのものだったので、涙を飲んで全部捨てた。

小麦粉は異常なかったが、ソバの1袋で「幼虫」が孵化していた。

以来、これら穀物の袋も冷蔵庫に入れるのだが、もし「卵」が入っていたらどこで孵化するのだろうか。

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29.03.10

2つの地下鉄駅での爆弾テロ

モスクワでまたしてもテロが発生した。
今回は走行中の車両ではなかったが、通勤時間帯ということでもっと大きな被害が出てもおかしくなかった。

ルビャンカ駅は元KGB(現FSB)ビルの最寄駅。2000年に爆発が起こったプーシキンスカヤ駅の地下道もそうだったが、ターゲットはモスクワのど真ん中だ。
もうひとつの事件現場、パーク・クリトゥーリ(文化公園)駅も、環状線と放射状路線の交わるターミナル駅で、ルビャンカからユーゴザーパド駅に向かう路線の乗り換え地点でもある。当然利用客が多く、この駅を通勤ラッシュ中に狙ったというのは無差別テロのきわみといえるだろう。

爆弾テロはいつおこるかわからない。以前は大きな荷物を持った人、酔っ払った人、着膨れた人が疑われたこともあったが(私も着膨れいていたので、よく警察から呼び止められた)、犯人とされる彼女らは本当に「シャヒド・ベルト」をはめていたのか。

以前は、チェチェンに向かう列車が発車するパヴェレツ駅を通る地下鉄路線に事件が頻発という「都市伝説」があり、夫をロシア兵に殺害された未亡人が「黒い花嫁」となって、報復テロに来るという話を多く聞かされた。今回もイスラム過激派の犯行というが、迅速に犯人のモニター写真が出てくるのだろうか。

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19.02.10

レーニン廟の行列とロシア語の誤解

Fh010012 88年に初めてモスクワ(当時はソ連)を訪れたとき、時間がなくてレーニン廟は観ることができなかった。ようやく中に入ったのは98年。ただし、このときはすでにロシアになっていて、ロシア人より外国人旅行者の方が割合としては多かった。

行列に並んでいると、警備員から「撮影禁止。カメラは預けなさい」と言われた。指差す方向に目を向けると、「Камера хранения(カーメラ・フラニェーニヤ)」と書かれており、「なるほど、カメラだからКамераなのか」と勝手に納得してカメラだけ預けて列に戻った。

ところが、警備員から「リュックもダメだと言っただろう」と再びダメだしが。陰でこっそり辞書をひくと、Камера храненияとは荷物預かり所のことであった。

列を離れること2回。そういうするうちに、観覧時間が終わりに近くなってきた。結局レーニン廟に入れるまで数時間たってしまい、レーニンの遺体を拝観したのはたった3分。特殊な液体で防腐処理してあるそうだが、どう見ても蝋人形にしか見えず、どうしてみんなあんな死体を見るためにありがたく行列するのか不思議に思った。

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18.01.10

オレンジ革命の頃

ウクライナの大統領選挙は、とうとうヤヌコビッチとティモシェンコの決選投票となった。

オレンジ革命の立役者だったティモシェンコは、結局ユーシェンコと袂を分かつことによって、最高権力の一歩手前というわけで、立ち回りが本当にうまい女性である。

5年前のオレンジ革命の頃、モスクワでも毎日キエフの様子が報じられた。非暴力を是とする民主革命に対し、ロシア側は複雑な心境だった。グルジアのバラ革命のときと同様に、ロシア政府はウクライナを連日非難。ロシアに出稼ぎに来ているウクライナ人も、祖国の事態には複雑な思いだったと思う。

かくゆう在モスクワ日本人の間では、ロシアとウクライナの軋轢より、オレンジ革命グッズを入手することが流行するなど、まったくの他人事。オレンジ革命のお祭り気分の方を重視していた。

ユーシェンコが勝利して、ほどなく日本人に対するビザ取得の義務が解消。プーチンの強硬路線がいろいろやっかいな状況をもたらしていたので、「やっぱりロシアはダメだ、ウクライナに乗り換えよう」という雰囲気が蔓延した。

あれから5年。結局ウクライナは経済的にも政治的にも自立できずに揺れ戻っているが、この二人の候補に国の命運をかけなくてはならないとは、本当に大博打だ。

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23.10.09

劇場占拠事件発生から7年

ドゥブロフカの劇場占拠事件が起きて、ちょうど7年となった。

今なお使用されたガスの成分について、政府から公式発表はなされていない。とりあえず被害者にはいくばくかの見舞金が出たことで、一件落着とされているが、今年3月、死傷した人質たちの所持金が捜査当局によって盗まれていた訴える裁判が行われた。

いくらなんでも被害者から金を当局が盗むとは言語道断。しかし、ロシアでは交通事故に遭った人から臓器が盗まれることもよくある話と聞かされていたので、よくよく考えるとあってもおかしくないのであった。

恐るべきは、シャヒドベルトをしたテロリストより警察、特殊部隊。彼らが公権力を行使して行ったことは何一つとがめられない。7年前からそう思うようになっている。

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