物乞いの人たち
吹雪の中を座り込んで物乞いする老婆を何度も見た。ビニールの買い物袋を敷き、目の前に聖母などを描いたイコンを置き、通り過ぎる人たちに向かって何度もひれ伏している。無言のこともあれば何かしゃべっているときもある。イコンの隣には箱や小皿があり、カペイカばかりの硬貨が入っている。ルーブル硬貨が入っていることはほとんどない。
ただでさえ歩いていないと凍えそうなのに、どうして物乞いの老婆は座り続けていられるのだろう。そのことをロシア人に聞いても、「さあ?」と気のない返事しか返ってこなかった。
物乞いの種類は多種多様だ。
赤子を抱いた「擬似母子」。子どもは「貸与」されたもので、泣きもぐずりもしないのはクスリで眠らされているからだという。足や腕を切断している男性も物乞いに多い。私のアパート至近の地下道では、いつも同じ物乞いの人が「出勤」していて、顔を覚えられてしまった。老男女のペアが賛美歌のような歌を声を張り上げて唄っていたり、ムシロのようなものに座り込んでいるだけの物乞いや、犬にやるエサを恵んでほしいと訴える人などなど。「ドーブリェ・リュージ、パマギーチェ」で始まる決まり文句は、「右や左の旦那様・・・」に当たるだろうか。通りすがりの人(中年以上の女性が多い)は、しばしば小銭をめぐんでいる。施しを受けた物乞いは、小銭を入れてくれた人に向かって、十字を切ったり深々とお辞儀をする。
一方、車の窓を強制的に拭いて金をせびるストリートチルドレンは、積極的物乞いといえよう。
「擬似親子」の例にあるとおり、モスクワの物乞いは裏社会でかなり「組織」されている。これ自体別に驚くことはない。なぜなら、中国などでも物乞いしていた両足切断の男性が、「メルセデス」の送迎を受けていたりするからだ。問題は、社会の底に転落した人が、どのように「組織されていくか」である。一度組み込まれたら、おそらく抜け出すことは難しいだろう。人間を食い物にする恐るべきビジネスだ。それとも、物乞いをしている本人は、すでに苦役と感じる感覚が麻痺しているのだろうか。
















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