06/17/2008

徴兵制の悩み

台湾映画「恋恋風塵」を久しぶりに見て、なぜか同じようなシチュエーションのPVを思い出した。

ルーキー・ヴヴェールフ(Руки вверх )の「ぼくのベイビー(クローシカ・マヤー:Крошка моя)」という曲だ。徴兵制にのため兵役についた「彼」と残された「彼女」。「彼」はいつも「彼女」のことを思いながらつらい軍隊生活をすごすが、「彼女」は「彼」に手紙もよこさなくなる。「彼女」は刹那的に生きていき、いつのまにか「彼」のことを忘れてしまう、というストーリー性をもった作品で、1998年ごろヒットした。

兵役のために彼女と離れている間、彼女が違う人と恋に落ちたり結婚してしまい、彼は兵役中に失恋、という話は、ロシアや台湾だけではない。徴兵制のあるすべての国であるもので、当人たちにとっては単に「試練」と割り切れないものがある。

特にロシアの場合は、送り込まれる場所が悪ければ無事に生きて帰ることもできないときがある。軍隊内でのイジメや虐待、劣悪な待遇による病気や怪我、そして配属地が紛争地であれば戦死もありうる。金持ちの子弟はあれこれと兵役逃れを画策できるが、普通の家庭では徴兵を拒否できない。したがって、兵役につくことが「彼女との永遠の別れ」となる確率は、台湾や韓国より高いといえる。

「Крошка моя」がヒットした年は、チェチェンとの停戦工作が行われていたとき。チェチェンに配属されることは、最悪の事態のひとつだった。ルーキー・ヴヴェールフの曲はまだまだ甘いオブラートに包まれているが、兵役につく若者の心情を代弁している点で強く支持されたのであろう。

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06/01/2008

学生の勤勉度

6月の声を聞くと、そろそろロシアでは卒業シーズン。卒業試験制度はどうなっているのかTp112 よくわからないが、ロシアの学生は露出度の大きい外見とうらはらに実はガリ勉だったりする。

地下鉄に乗ると教科書やノートにかじりついている学生をよく見かける。ノートを覗いてみると、えらく難しい数式だったり化学のカメの子だったりして、たじたTp102じとなってしまう。グラフ用紙のような罫線のノートにも、青いボールペンでなにやらぎっしり(ロシアでは黒いボールペンはほとんど使われない)。

日本の学習ノートのように、教科書の内容を「整理」したり、図化して「見やすく」するのではなく、ひたすら文章でだらだらと書いている。これでよく頭に入るなあ。

大学などの期末試験では論述や口述形式が多いらしく、問題があらかじめ複数告知してTp142 あるそうだ。当日どの問題がでるか決められるが、どの問題も準備を万全にするのはかなり勉強しなければならないようだ。

お受験をして入った小学校では、親が宿題を見るのTp12 はあたりまえ。その宿題も並みの分量ではないらしい。したがって、子どもたちは塾などには通わず、家庭教師を雇うのが普通である。

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05/01/2008

メーデー

5月1日は労働者の祭典、「メーデー」である。ソ連時代は戦勝記念日と共に重要な祝祭日であったが、ソ連崩壊後しだいに権威が失われ、今では共産党支持者が赤の広場やホワイトハウス前で、小さなデモ行進をやるくらいだ。

現在は、ダーチャシーズンの始まりとしての意味合いが深い5月1日。ロシア人がもっとも勤勉となる時期の始まりといえる。

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04/09/2008

ロシア人と洗濯

2000年はじめくらいまで、ロシア人家庭に洗濯機があるのは珍しかった。
一般にモスクワに住む人たちですら、洗濯物を手洗いするのが普通だった。今でもバスルームに大きな「たらい」が置いてあるところもある。 Wm_4

近年は価格・性能ともに手ごろな洗濯機が普及。大型家電店では韓国のLGやスウェーデンのエレクトロラックスなど、外国製シロモノ家電が処狭しと並べられている。

しかし、ロシアのアパートは、日本のように洗濯機置場があらかじめ想定されている間取りではない。家庭によっては、洗濯機を台所に置いているところも多い(ヨーロッパではそういうタイプが多いらしい)。さすがにベランダや玄関先に洗濯機を置く人はいないが。

問題は洗濯機の取り付けとメンテナンス。最近は家電ショップのサービスで、取り付けまでやってくれるところが増えたが、水周りの知識がいいかげんな人が来ると、後から水漏れやら漏電といった問題がおきる。

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03/08/2008

国際女性デー

8_march 今年もやってきた3月8日。

ロシアでは、いちおうヨーロッパの「騎士道精神」が存在する。よって、車の乗り降りに手を貸してくれたり、ドアを開けてくれたりする。それを勘違いして、「ロシア人男性はやさしい」と思う日本人女性も多いだろうが、基本的にロシア人男性は男尊女卑でマザコンだ。アルコールにおぼれる男性が多いもの、社会が心理的な弱さを甘やかしているためだろう。

それを十分承知してるので、ロシア人女性は自分の主張がはっきりしていて有限実行。日本人から見れば裏切り行為とも見えることも、ロシア人からすればステップアップの手段に過ぎず、彼女らは確実に自分のキャリアを向上させる。ちなみに容姿も実力のうちである。

だからというわけでもないが、近年ロシアでは女性CEO(企業の最高責任者)が増加。それでも女性の地位が一般的に低いのは、やはり納得できかねる。国際女性デーがない日本では、まだまだロシアの状況の足元にも及ばない。

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02/02/2008

ツィガン―モスクワのジプシー

ロマ人(俗称:ジプシー)のことを、ロシア語で「ツィガン(Цыган)」または「ツィガーネ(Цыгане)」と呼ぶ。インドを発祥とするロマ人は、15世紀ごろ東ヨーロッパにたどり着いたという説があるが、他の東欧地域と同じく、今もモスクワには多くのロマ人が住む。

ジプシー音楽とかジプシー舞踊などといったエンターテイナーの要素はほとんどなく、ツィすこぶる悪い話だけが語られる。子どもが集団で外国人を取り巻いて金品を巻き上げたとか、占いをしている間に財布を抜き取られたとか、怪しい薬を売りつけられそうになったなど。外務省安全情報でも、年中ジプシーとスキンヘッドには警戒するよう警告を発しているが、被害は減らない。

キエフ駅周辺は、以前タバコの闇市があり、ツィガンがそこで商売をしていた。なんと、警察と結託しているツィガンもいて、警察にワイロをつかませてヤミ商売や恐喝を見逃してもらったりしていたらしい。

ツィガンが黒魔術に通じていることから、ロシア人の中にはツィガンの「邪視」を信じている人もおり、彼らと目を合わせないようにしているそうだ。

ツィガンの集団は、以前は大きな駅周辺(以前のクールスカヤ駅やキエフスカヤ駅など)や目抜き通り(ノーヴィ・アルバート通りなど)に出没していた。女性はくるぶしまである長いスカートを履き、頭にはスカーフを巻いている。髪型もロングヘアーを束ねている。統制のとれた概観はまるで制服を着ているようだ。不思議なことに彼女らの背丈は全員同じくらいで、抜きん出てチビとかのっぽな人はいない。女性グループの中には、必ずまとめ役とおぼしき年配女性がいて、グループのメンバーがしっかり通行人にからんで金をせしめているか、見張っているようだった。

ツィガンの女性たちは、若い頃はけっこうきれいな顔立ちなのに、年をとると妙に毛深くなり、眉がごつくなって顔のうぶ毛がヒゲに見える人もいた。

彼女らは、「カモ」をみつけると擦り寄っていき、「運命を見てやるよ」、「タバコ買わない?」などといって声をかける。無視しても別の女が声をかけてくる。いったん興味を示してしまうと、金を巻き上げるまでしつこくつきまとう。巻き上げられた金は、まとめ役のところに「上納」される。

闇市が次々と閉鎖された昨今、ツィガンの男性たちは何をやっているのか? ロシア人に聞くと、「女が働くので、ツィガンの男たちは遊んでいられる」との答え。スキだらけの法治国家ロシアのことだから、きっと他にも儲かる商売があるのだろう。

モスクワのツィガンらは、「ジプシー=放浪者」というイメージは皆無だ。実際、ロシアのツィガンたちは定住している。これはソ連時代の政策が移動の自由を制限(1956年)していたことの名残にほかならないが、モスクワ郊外には、ツィガンが集団で暮らす「ツィガン村」まである。ただし、この村が行政上、正式に村として認可されているのか、それとも単なるツィガンの集落なのかはっきりわからない。

一方、ツィガンの中でも「ロメン劇場」で働くツィガンたちは例外的存在。また、有名人の中に「ツィガンとの混血」を自称する人たちがいるが、これも真偽は不明。ユダヤ人同様、長くヨーロッパ社会で差別されてきたツィガン。定住化政策を強いた上、今も被差別待遇を甘受しているわけだが、共産主義すら彼らを「同化」できなかったことがよく見て取れる。

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01/14/2008

ロシアの正月と電話

1月7日はロシア正教暦におけるクリスマスだった。そこから数えて、1月14日がようやくロシアのお正月。まだまだクリスマスツリーも家の中に鎮座している。

だからといって、1月1日のように華々しいお祝いをするわけではない。あくまでも暦の上での、という感じ。日本の小正月に似ている。

一番寒く、外に出るのも億劫な年配者は、この時期親戚・知人に電話をかけまくる。特に基本的にモスクワの市内電話は無料なので、電話の回数や長話も全然気にしなくていい。何回も何回も同じあいさつを繰り返し電話をかけまくる様子は、アジア的メンタリティを感じさせる。

ちなみに、モスクワの電話回線も細分化され、一部郊外地域ではモスクワ市外扱いにされて電話代がかかるようになってしまったらしい。年金生活者にとって、電話はストレス解消であるとともに情報源。大きな問題となっている。

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04/03/2007

外国人アパート

Updk0146 次々と高級マンションの建つモスクワ。片やいつ崩壊してもおかしくないフルシチョフカ(フルシチョフ時代に建てられた突貫住宅:ボロアパートの代名詞)が残るモスクワ東部。かつてのマフィアによる地上げは少なくなったものの、行政府による強制立ち退きがそれに取って代わった。比較的貧しい人たちはどんどんモスクワ周辺部に追いやられている。

ロシア人成金を別として、まずまずの暮らしぶりなのが西側各国から着ている外国人居住者だといえる。それでもお金の有無が住む場所のグレードに現れる。(写真はウポデカ住宅特製カレンダーの表紙。なぜかウクライナホテルが中央に写っている)

かつて外国人が住まわせられたのは、モスクワ数箇所に散らばる「ウポデカ住宅」というアパート。ソ連外務省が運営・管理する、外国人収容住宅であった。電話の盗聴はしょっちゅう、外出などの行動もチェックされていたらしい。今やウポデカ住宅にはロシア人も住み、外国人はもっといい住宅へ引っ越していく。

知り合いの日本人も、管理人ならぬコンセルジュ付きの高級マンションに入居していた。しかしセキュリティにうるさく、コンセルジュがいちいち入居者に通報してから出入りの許可を待たなければならない。かつてのウポデカ住宅のように、特に外国人訪問者に目をひからせているのだ。外国人がいっぱい住んでいる=隣は何をする人ぞ以上の危機意識が必要なんだと、認識を新たにしたのであった。

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02/05/2007

モスクワのコリアン

初めて北朝鮮の人を見たのは、チャイコフスキー音楽院近くの路地だった。上着の左胸に金日成バッチをつけ子供を連れていた。音楽会の帰りらしかった。彼らは私を一瞥して足早に去った。

一方、サムスンやLGの駐在員たちは、一昔前の日本人のように24時間働きそうな感じ。非常にエネルギッシュに市場を広げている。その家族たちも週末にゴルフを楽しむ優雅な生活を送り、子供の教育には手を抜かない。

そして、戦争前後からモスクワに住んでいる、朝鮮・韓国系の人々。彼らはすでにかつての母語を話さない。コリアン系ロシア人として、ある人たちは高い地位についている。たとえば、ポップシンガーのアニタ・ツォイ。彼女の夫もコリアンだが、モスクワ市政府の幹部である。また、オグジャワと同年代に活躍したシンガーソングライターのユーリー・キム。さらにはロックグループ「キノー」の故ヴィクトル・ツォイなど枚挙にいとまなし。

モスクワに住むコリアン民族はこのように多岐に富む。その昔読んだ「コリアン世界の旅」(野村進著)。そして、姜信子さんの一連の著作を読んだことがあるが、現在進行形のコリアン社会は、二人の著作で書かれた現実をどんどん更新していく。彼らはロシア社会に溶け込んでいるように見える。

Korean_newspaper1 ← モスクワに後発で来た人たちのフリーペーパー。

コミュニティ情報やビジネス情報が多い。

Korean_newspaper2 → ロシア語が母語となったコリアンのための新聞。民族意識は極めて高い。

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08/13/2006

トリリンガルな売り子嬢

コスイギン通りに面するアリョーノク・ホテル(Гостиница Орлёнок)。韓国資本のホテルとして以前から有名である。テナントには韓国料理レストラン、怪しい和風居酒屋、美容室、カラオケ、カジノ、ストリップクラブなどがあり、モスクワ在住の日本人はたいてい足を運んでいるはずだ。

このホテルには小さな食材店もあり、韓国や中国の食材が手に入る。中でもうれしいのは本場の味のキムチとどっしりとした固めの豆腐だろう。

いかにも韓国人っぽい中年の男女、そして若い娘が食材店のレジを守っている。若い売り子嬢は客待ちをしながら、いつも韓国語の新聞を読んでいた。私は彼女と普段ロシア語でやりとりしていたので、てっきりモスクワに出稼ぎに来た韓国人だと思っていた。ところが、知り合いの中国人が「今度中国語でしゃべってみなよ、彼女話せるから」と言うので、半信半疑で中国語で話しかけたところ、「私は中国の朝鮮人自治区から来た」と答えるではないか。確かに彼女の振る舞いは中国人っぽく、出自から考えると彼女の話す韓国語とは、イントネーションが若干異なる朝鮮語であったのだ。それ以来、彼女との会話はロシア語・中国語のチャンポンとなった。

古来、商人は語学の才に長けているが、彼らを見るにつけ日本人はちょっと分が悪いと思わざるを得ない。Kimchi

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02/20/2006

ハルピン生まれの同窓会

2004年1月、私は知り合いのロシア人(中国人との混血)に招かれて、在ハルピンソ連国民学校同窓会に出席した。戦前ハルピンで生まれ、国民学校に通っていたロシア人の面々および極東研究者が、毎年ロシアのクリスマス(1月7日)前後に集い新年を祝っているそうだ。

場所は中華レストランで、名前もズバリ「ハルビン」。貸切だが、酒・食べ物は持ち込み放題。酒宴が進むとなつかしの愛唱歌も飛び出した。

出席者の中には、びっくりするほどきれいな日本語を話すおばあさんがいた。彼女はハルピンから一時、神戸に移り住んでいたそうだ。また、「満州国」であった当時のハルピンで、日本人と知り合い、そこで日本語を覚えたというおじいさんもいた。逆に、日本人からひどいことをされたというおばあさんは、流暢に話せた日本語を、戦後すっかり忘れてしまったという。さらに出席者の数人は、中国語もなお覚えていた。

私に声をかけてくれたM氏は、ロシア人の母、中国人(正確には満州人)の父を持ち、父亡き後、母の国ロシアに国籍を移した。その波乱万丈の半生は、私もすべてを把握しきれていない。時々、「一緒に遊んだ日本人のヴァロージャ(どうも彼にはロシア名が与えられていたらしい)を見つけ出したい」と言い出したり、李香蘭の『満州娘』を日本語で唄いだすなど、日本人に対するイメージはそれほど悪くない。

M氏以外のロシア人たちも、日本との戦争と混乱、中華人民共和国の成立、スターリンの粛清など、それぞれたいへんな人生を歩んできたことだろう。毎年、参加人数も減りつつあるというが、一方で自分の体験を後世に伝えようと本を出版する人も多い。満州という傀儡政権の只中で生まれ幼少期を過ごした彼ら。台湾などで出会ったおじいさん、おばあさんと共通する雰囲気を持っているのは、どうしたことだろう。

ロシアに加え、born_in_harbin1 born_in_harbin2 「満州」も私の新たなテーマとなりそうだ。

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