Posts categorized "訪問記"

04.07.10

番外編 サマルカンド

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初めての海外旅行はソ連だったのだが、当時(1988年)はロシア共和国よりもウズベク共和国など、いわゆる「シルクロード」関連の地域がもっぱらの関心国だった。

というわけで、バイトしまくって貯めた金でツアーに乗っかったのだが、ソ連入国の地・ハバロフスクで買い食いしたシャーベットにあたってしまった。途中、レニングラード、モスクワと、観光地よりトイレめぐりがメイン。調子を持ち直したのはモスクワに入ってからだ。サマルカンドに到着してからは、完全復活した。

8月のサマルカンドは最高気温摂氏50度。寺院遺跡などの観光地風景は別の機会にゆずるとして、サマルカンドで楽しんだのは自由市場とチャイハナ。特に市場は朝鮮系のおばちゃんから妙に親切にされ、スイカやハミウリみたいなものをくれた上、なぜかおばちゃんたちと売り場に。外国人を売り場に立たせるとはどういうことなのかわからないが、とにかく気に入ってくれたのだろう。

チャイハナでは踊りの輪に誘われ、盆踊りまがいのものを披露。チャイハナでくつろぐおじいちゃんから、ハエが止まっているナンをもらった。

サマルカンドのホテルは、お世辞にもきれいとはいえなかったが、夜はどこからともなく大音量でダンスミュージックが聞こえ、ロシアとは違うなあと実感したのだった。

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03.09.08

ドンスコイ修道院

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紹介された歯科医が、ドンスコイ修道院の敷地近くにあり、ついでに修道院を見学した。修道院なのに、どうして戦車の類が? ロシア正教会と戦争の遺物という、あまりにミスマッチの風景に、違和感を感じた。

あとで知ったのだが、スターリングラードの攻防戦のあと、市民の浄財を集めて造られた戦車なのだそうだ。1942年にロシア正教総主教のセルギイが戦車の隊列にドミトリー・ドンスコイと名づけていたらしい。

ドンスコイ修道院では、そのときの戦車を記念・保存しているわけで、大祖国戦争が聖職者も正当化するものであることが実感できた。

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23.07.08

フィリ教会(Церковь Покрова в Филях)

Fili_church_front 地下鉄駅フィリから降りて、少しバスでバックしたところにある、美しいたたずまいのフィリ教会。
ガイドブックにはあまり詳細が載っていないが、教会内部の聖像壁画が特に美しい。実は、イコン制作の巨匠、アンドレイ・ルブリョフ美術館の別館となっていて、教会としての役割は果たしていない。カテドラル上部に入れるのは5月15日から10月15日のわずか5ヶ月間、敷地に立ち入れるのは、火・水曜と毎月最終金曜日と限定されている。あまり熱心に宣伝していないせいか、私が行ったときは数人の学生しか来ておらず、内部は閑散としていた。

教会の名前を直訳すれば、「フィリの”とりなし”教会」といい、ピョートル大帝の叔父、レフ・ナリシュキンが1690年から93年にかけて建立したもの。いわゆる「ナリシュキン様式」という、伝統を打ち破りヨーロッパのスタイルをミックスさせた独特の建築となった。内部のイコノスタスは、西洋絵画のようなものも多く、他の教会と違った趣を感じさせる。

地下鉄フィリ線から見る教会の遠景や、キエフ駅近くのウクライナ並木通りから見ることができる教会シルエットも美しい。ぜひ足を運んでもらいたい場所のひとつだ。

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Новозаводская ул. , д.6

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26.03.08

オストロフスキーの家博物館

Test0170チェーホフのホームベースがモスクワ芸術座(MXAT)だとしたら、オストロフスキーのホームベースはマールィ劇場ということになる。その証拠にマールィ劇場の前にはオストロフスキー像が鎮座する。

オストロフスキーの芝居は一般に長い。短くても2時間半、代表作「森」「輪」などにいたっては、3時間の上演時間が普通で3時間半というものまである。いくらおもしろくてもしょせんロシア語のみでの舞台鑑賞。私には彼の戯曲はついていけないと思っていて、長らく観るのを避けていた。ところが、マールィ劇場では舞台シナリオをインターネットで公開しているのを知り、それをあらかじめ予習して、オストロフスキー作品を観にいくようになった。

オストロフスキーは地下鉄トレチャコフスカヤなどのある区域の生まれ。商家の下町っ子だ。商売の傍ら書き始めた戯曲だったが、彼の描く人物は貴族の空想に浸るものでもなく、英雄が出てくる超現実的なものでもない、現実社会に生きる人間Gates052ドラマであった。Gates022

現在、オストロフスキーが住んだ家は、博物館となっている。彼と家族が使用した調度品や家族の写真、当時のモスクワに関する資料が展示されている。子宝にめぐまれ、商売も順調だったオストロフスキー。Gates032 どこか江戸時代の町人文化、特に井原西鶴にも通じるオストロフスキー作品の登場人物に、チェーホOstrovskyフの3大 戯曲以上の魅力を感じるのは、私だけではないだろう。

特に気に入っているのが「最後の犠牲者」「身内―勘定に入れましょう」「雷雨」の3本。

Музей -усадьба А.Н.Островского

Ул.Малая Ордынка 9

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04.06.07

アルハーンゲリスコエ(Архангельское)

モスクワから西北約15km。地下鉄トゥーシンスカヤ近くのバスセンターからは、なぜかマルシュルートカ(乗り合いミニバス)しか出ていなかった。

ロシアに忠誠を誓い、貴族となったユスプフ家の屋敷とその広大な庭がアルハーンゲリスコエ(Архангельское)である。メインは西洋庭園と敷地内に点在している彫刻やギリシア風の柱。さながら、彫刻の森美術館のようだ。Arkhangelskoye01_1 ちょっとまぬけな表情のライオンがかわいい。

さらに森の中に建てられたいくつかの小屋敷は、それぞれ美術品や調度品を展示する美術館となっている。 Arkhangelskoye02

庭園付き公園でありながら、アルハーンゲリスコエは今や野外ステージのメッカ。夏はここでクラシックやジャズのコンサートが開かれる。残念ながら私は観に行ったことがない。Arkhangelskoye03

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23.02.07

英露カップルの披露宴

モスクワの国際女性クラブで英語のサークルに入っていた私。サークルリーダーのイギリス人女性の息子が、ロシア人女性と結婚することになった。なんと披露宴はイギリス大使British_embassy 館の中! いくら彼女の夫が大使館の医者とはいえ、すごい発案だ。これまで何度か外国人の結婚式に参加したことがある私だが、そんな大掛かりな結婚式は初めて。招待状をもらうと、すぐ参加の返事をした。

Wedding_concert イギリス大使館は2000年ごろ今の場所に移転してきた。変わった形の建物だ。招待客はパスポートを見せ、まず物々しい金属探知機のゲートを通り抜けてから来賓ホールへ。吹き抜けのホールは天井がすごく高い。Bride

宴の前に行われたのが、なんとオペレッタのようなコンサート。旧約聖書「ルツ記」をもとに、新郎の父親が書き下ろしたというオーケストラ楽曲に、新郎の友人とおぼしき人たちが歌いながら劇をする。上演中はロシア語と英語の字幕がプロジェクターで投影され、参加者は聞き入っている。Wedding_banquet 話の内容は今ひとつわからないが、困難を乗り越える愛の物語らしかった。

続いて指輪の交換。結婚式自体は登記所で済ませているので、ここでは単なるセレモニーである。新婦は新郎の家に伝わるタータンを送られる。キスの披露などをして、皆が盛り上がったところで宴会に入る。イギリス大使館の料理人Entertainment が作った料理だが立食。食べながら、ロシア舞踊団が踊ったりするのを眺めた。Wedding_dance1

ある程度おなかがいっぱいになったところで余興の開始。こちらはタマーダと呼ばれるイベントのプロ司会者が取り仕切り、ダンスをしたりゲームをしたりして楽しむ。もちろん、新郎新婦のファーストダンスも披露される。

Game こうして歌い踊ったところでお開きとなるのだが、ロシア人の婚礼につきものの「ゴーリカ!」(キスを促す囃子言葉)はさすがに控えめであった。

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09.12.06

オスタンキノテレビ塔

火事になったことで日本でも有名になってしまったオスタンキノテレビ塔。

私がそこを見学したのは1999年のことである。

当時、見学コースは時間を区切って行われていた。私はまったくの個人見学だったので、それを知らずしばらく外で時間をつぶした。

チケットを買って高速エレベータで展望台のあるところに上る。何階にあたるのか覚えていないが、「第七天国」という名前のレストランも営業していた。Ostankino0173

床の一部分が強化ガラスになっていて、真下を見ることができるようになっていた。子供は無邪気にもそのガラスの床の上を走り回っていたが、大人たちはおっかなびっくり。私も自分の足元を見てみたが、ちょうど芝生の地面が眼に入り、この場所がタワーの突き出た部分で地上まで本当に何もないというのがわかり少し怖かった。Ostankino0174

写真も撮ったが残念ながらガラスが反射していて、ちゃんと撮れていない。

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左より:

1.ロケットを思わせるテレビ塔の底辺部。 2.ガラスの床から下を見る親子。 3-4.クスコヴォ宮殿方面。 5.テレビ塔の先端。

http://www.russianmuseums.info/M430

http://www.tvtower.ru/2_Razdel_TotalInfo/

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10.09.06

パステルナークの家博物館

モスクワ南西部にあるペレジェルキノ(Переделкино)というところは、いわゆるインテリゲンツィヤのダーチャが集まるところで有名だ。昨今はここに自宅をもつ人も現れ、すっかりモスクワ成金連中のベッドタウンになっている。

さて、私が「ドクトル・ジバゴ」の作者、パステルナークの家博物館を訪ねたのは1999年のこと。キエフ駅から郊外電車に乗って約40分。頼りといえば「地球の歩き方」の情報のみ。今ほど観光地化されていなかったので、ペレジェルキノ駅に到着してから途方にくれた。なぜかというと、郊外では通りの標識が極端に少なく、住居表示もはっきりしていない。通りと番地さえわかればどこへでも行けるモスクワ市内と大違いだ。

Pasternak1 しばらく駅の周囲をうろついていると、「パステルナーク⇒」の板切れをみつけた。その方向に向かってなんとなく歩いていると、たどりついてしまった。当時の私は、直感のような方向感覚が備わっていて、行ったことがないところも地図が詳しくない所も、なんとなく到着してしまうのだった。今ではそういう第六感も方向感覚も鈍ってしまい、偶然たどり着くということはできなくなってしまった。

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Pasternak3

アジア系の訪問者が少なかったためか、案内のおばさんに目を付けられ、ずーっと説明を受けることになった。はじめはまじめに聞いていたが、だんだん疲れてきて何言ってるかわからなくなった。あとはひたすら「そうですか、そうだったんですか、わかりました、すばらしいですね」を連発するのみ。もっと静かに見学したかったというのが本音である。

ちなみに、私はパステルナークの作品では「ドクトル・ジバゴ」しか知らず、彼の詩人としてのすばらしさを認識しないまま訪問してしまった。もし彼の詩を事前に知っていたら、国際的名声と国内での不遇をどう感じながら、彼がこの家で過ごしていたか、もう少し想像できたかもしれない。

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21.05.06

サハロフ・ミュージアム

サハロフ博士はソ連時代の著名な物理学者。反体制だったため、妻と共にゴーリキー市Sahalov_museum_1 へ「流刑」され、1975年ノーベル平和賞を受賞した。晩年はペレストロイカを支持し、世界平和のために活動した人だ。

Sahalov_museum2_1 1996年、クールスカヤ駅から徒歩15分くらいの林の中に、サハロフ・ミュージアムがオープン。博士の生涯をたどるさまざまな記録のほかに、常時人権や平和活動に関する展覧会、セミナーを行っている。

私は2度訪れたが、日本人もたびたび訪問する場所らしく、記帳ノートにいくつか日本人の名前を見つけた。今年、10周年を迎えるサハロフ・ミュージアムだが、NGO活動を規制するプーチン政権下でこの組織も大きな影響を受けているらしい。

ソ連時代の大量粛清を糾弾したり、チェチェン戦争に真っ向から反対するなど思い切った活動が主力なだけに、時代の流れがこのミュージアムを弾圧の対象としていくのではないかと懸念される。Sahalov_museum3_1 Sahalov_museum4_1

Музей и общественный центр им. Андрея Сахарова

Ул.Земляной вал, Дом 57 стр.6

Метро Курская, Чкаловская

入場無料、月曜休館  Tel 495-923-4401

www.sakharov-centre.ru

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21.03.06

アンティークサモワール

サモワールとは、ロシアの伝統的湯沸かし器である。現実にはロシア人でサモワールを持っている人は少ない。で、一度本物をじっくり見てみたかったので、一作年欧米人向けのサモワール鑑賞会に参加してみた。

おじゃましたのは、モスクワ大学近くに住むサモワール鑑定士、セルゲイ・カリニチェフ氏宅。60平米くらいのフラットには所狭しとサモワールが並ぶ。押入れにもバルコニーにもサモワールがあふれる。氏のコレクションは19世紀からソ連時代のものまで。自身のコレクションを展示・即売しているほか、別のところで買ったアンティークサモワールの鑑定もやってくれる。国外持ち出しに鑑定は必須なので、書類を書いてくれる人の情報を得れば心強い。

サモワールの起源はモンゴルという。17世紀ごろロシアに伝わったとされている。もともとは薬草を煎じる道具だったといわれている。モンゴル生まれという性格上、サモワールは可動性にすぐれていた。その後、茶を飲む習慣と共に庶民に広まり、19世紀には、家族の集まる場所には必ずサモワールがあるようになった。新しい家族を持つとき、あるいは何かお祝い事があったとき、サモワールを買ったり贈ったりする習慣もあったらしい。カリニチェフ氏によると、現在廃れてしまった最大の原因は、「湯を沸かすことしか能がない」からだという。

このツアーでは、サモワールのパーツ説明もあったが、写真を撮ることに忙しかった私は、あまりメモをとっていない。”Perhaps have a cup of tea yourself. Samovars are for sale. ”というツアーの触れ込みに大いに期待したが、ついにお湯を沸かす実演はなかった。

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http://www.russiatravel-pdtours.netfirms.com/

Patriarshy Dom Tours:英語でガイドをする旅行社。日替わりのモスクワツアーが行われ、オーダーツアーも可能。

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